頭のいいおばさんのゆうことにゃ

にゃとか書くと猫耳が生えてたり獣人だったり擬人化だったりしそうな昨今ですが、もりのくまさんは実は猫だったんだよー(ナ、ナンダry(←にゃ言うのは語り部だろ

というわけでタイトルは別に猫語でありませんのにゃ

で、頭のいいおばさんが負のオーラを前回MAXなタイトルのエントリを(いまさら意味もなくはてなで)書いてるので絶対に読むまいと思っていたんだけどメッタ斬り反論エントリを読んでしまったので結局読む羽目になりました。謝罪と賠償を…

上に述べたように、「生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」を身に付ける最も効率のいい方法は、普通に中学高校で理科を学ぶことです。ちきりん氏の科学教育に対する見解は全く中身がありません。

ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記

うへへwwギロチンですなwどんなひどいこと書いてあるのかつい読んじゃったよw

でもまあ

残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。

とかスゴイよね。これってさ、「自分には意味がなかった」という前置きで自分をその7割に含めるようなフリしてるけど実際には自分は3割って自覚してるよね絶対www批判を柔らかくするためのレトリックですよねwww
具体例がすごくてさ

算数の時間には、
・リボ払いを選んだ場合の利子の額
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
とかを(台形の面積の計算方法や、ルート2=?とかを暗記させる代わりに)教えてほしいし、

このへんどうやったら計算できるんだっけ。僕高校で漸化式とか習った時感動したなあ…
そういえば、ルート2が1.414…であることで広さとか大きさとかが想像できることも多かったなあ(あと設定上の距離が関係あるゲームとかで超役に立ってる気がする)。

生物の時間には、
・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか
・妊娠のメカニズムと、不妊治療やその限界など
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
・太っちゃって、脂肪吸引に興味があるんだけど、大丈夫かな?
みたいなことを(カエルの解剖をする代わりに)教えてほしい。

って何この個別具体的事例。仮に50年後に画期的な治療法が見つかっても「わしゃ学校で習った治療法しか信用せん!」とか言って死んでいくのかなー。ここで言われているのって全部高度な判断が必要で正解も時代によって変動するレベルの話だと思うんだけどさ…

化学の時間には、
・トイレ掃除のとき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか (もしくは、ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか)
・ホテルで火事にあったら、煙は上下、どっちに流れるのか
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
などを(リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに)教えてください。

学校行ってた時に存在しなかった洗剤は安全ですって?wしかもヘアスプレーの話と2択でどっちかしか教われないとかw
ホテルにしたって60階のホテルで10階から出火し上にヘリポートがあるみたいなときにどっち行くのよw

物理の時間には、
・イオンのでる家電って、なんか意味あるの?
放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?

イオンwwwスーパーかな?ww
ラジウム温泉ってダイエットのために行くものなんだーはじめて知ったぜ!

ええと…

日本には血液型判定を始め、偽科学的が溢れているし、科学的な思考とは何か、ということはしっかりと教えた方がいいと思います。
また、技術が社会や人間の生活をどう変えてきたのかも、議論型の授業でぜひ教えてほしい。

科学的な思考とは何か、ということについて答えを持っている人の方法論には思えないですよね。

たぶん、この人はこれを具体的な事例として教えてくれと言っているわけじゃないと思うんですよ。こういうことがわかるような授業内容にしようぜ、と言っているんでしょう。換言すれば、「具体的に生活のどの場面に繋がるかを明らかにした教育」をしろって話ですよね。さすが頭のいい人は言うことが違うぜ。そんなの3割の人以外完全に置いてきぼりになるよ…

換言すれば、「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」だってことです。

正直なところ、僕が高等教育までで習ったことが科学リテラシーとして結実したのは大学の専門課程でした(文学部→心理学)。今まで習ったことの4割くらいが音を立てて組み上がっていった気がしますね。これでも別に技術者、研究者になる「ための」教育じゃなかったわけで、その先に高い高い壁が見えましたけどね(もっともそれは勉強そのものではないところに立っていた気がします)。

学校では「生活の知恵」を教えたほうが幸せな人が多いはず、というのは一見正しい(しかし非常にエリート主義です)ように思えます。むしろ正しい局面もあるでしょう。雪道で車運転したらこうなりますくらいは教えてもいいんじゃないかとか思ったりしますよね(それは教習所でやれ)。

でもね。昔って結構な人がソロバン習ってましたよね。豚肉を生で食べるとヤバイのはおうちで教わりますよね。生活の知恵で良ければ他にも学ぶ場所はたくさんあります。それこそ本読めばいいんですよ(ネットで調べればいいんですよ)。

学校のリソースに限りがある以上、生活の知恵を中心にするということは思考のレベルを下げるってことにほかなりません。生活の知恵にしたって一生使わないものだってあるでしょう。取捨選択するということは何かを捨てるということです。もっとも無駄にならないのは思考の訓練であり、思考に必要なベースの知識です。そりゃ結果としては7割位の人が中途半端な理解で終わって残念な結果なのかもしれませんけど、それはある種の選民思考であり、「自分も役に立たないことがいっぱいあったし」ということで7割の方を装うというやり方は非常にアレですね。

世の中の問題というのは常に変動します。明治時代のFAQである「写真をとっても魂が抜かれませんか?」と上記の「ラジウム温泉入っても大丈夫?」は疑問のレベル感としては大して変わりがないと思います。個別具体的なことに対応するための教育ってのはそういうレベルだってことですよ。