司法の場に持ち込むアレ

今回の件は、正しい検証プロセスが働いた結果の出来事なので、(最初はすげー発見だと思って賞賛した僕にとっても)もう終わっちゃった話で、話を大きくしているのはマスコミだけなんじゃないかって思っているんですよね。組織の問題をことさら言い立てるマスコミにしたって、ジサクジエンサンゴ礁のアレとかさ、どうなってるのよ組織。どこの組織にもおかしなことをする余地があって、それを全て未然に防げるわけは絶対なくて、起こしたことが社会問題であれば謝罪して後は会社内の改善プロセスに委ねるしかないよね。もっとも、社会にものすごい不利益を与えた場合はもうちょっと別の展開がある。この件については社会の不利益ってのは「間違って盛り立てちゃった俺たちのプライドを返せ」なんじゃないかと思ったりもするんですよ。それ社会の不利益じゃないし。科学への不審云々って煽ってるのも報道のせいだし。

ということで、当事者の問題に外野がこれ以上首をツッコむのはほどほどにねと思う反面、法的にどうだこうだの話になってしまうと色々と言いたいこともあるわけです。

どんな業界でもおんなじことだけど、契約して結果が想定通りじゃなくてもめた場合は最後は司法に行くのは仕方がない話ではあります。現場からしてみると「えー、話が違うぜそれ」みたいなのも沢山あるのは日本が契約社会としてはきちんとしてないからなんだろうな。
ただ、ああ言うのが司法に行くってのは「自分では自分自身を証明できなかった」ということに他ならないよなあ、ジャンルにもよるんだろうけど。これがハラスメントの結果としておかしな評価をされているという話しなら全然別だぜ?そうじゃない場合に出てきたものが「最低ラインに達しているかどうか」の判断とかを司法にさせてるんだったら仮に司法で有利な判断をしてもらったとしても、「ではないとはいえない程度の微妙な存在価値」であることを証明しちゃったに過ぎない場合がほとんどなんだろうなって思うわけです。実力が最後にものをいう世界では逆お墨付きというか。