「悪のカリスマ」にも「自由の象徴」にもなれないひろゆきと2chの行く末

思いの外長引いてますけど…

そもそも、2chは誰のものかって言うことって案外どうでもいい話なんですよね。ひろゆきが2chのオーナーとして影響力を持っていられたのはビジネスマンとしてどうとかじゃもちろんなくて、2chの自由を体現していたからだけどそれはラディカルなリベラリストとかそういう話でもなくて、単に「グレーな事案やアウトな事案について誤魔化してくれる」都合のいい存在だったにすぎないんですよ。つまり、思想そのものが広く受け入れられ支持されていたとかそういうのではなくて、まともに問題に向き合わないという一般人についてはリスクの高い解決策を適用していたに過ぎないわけで。

なので、嫌儲という概念がある種の「正義」をもってしまった時、そこには「ひろゆき的でない何か」が生まれてしまっているんだけど、それを軌道修正することもできない。まとめサイト的な部分はオープン2chに持って行かれ、従来のユーザはscに行く動機など(ひろゆきを崇めていない限り)ないわけで、この話が何故うまく行くと思っていたか不思議でしか無い。

野次馬的に言うと、今ひろゆきがおかれている境遇を隅から隅まで裸にして楽しむのが2chの精神というものであって、ひろゆきという個人が司法を馬鹿にすることによって成り立っていたと部分も別にいまさら求められていない以上、この件はこれ以上は盛り上がらないでしょうな。