「鼻血と言い出せない」状況があるとして

いろんな要因があってこういう状況が生じていると思うんだけど、「鼻血が出たら問題があることがバレるから言わせない」なんていう風な圧力があるとしたら、それはそういう風に仕向けている輩がいるからじゃないかと思ったりもするけど、世の中そんなに単純でもなかろうな。
「今の状況化で放射能が原因で鼻血がでるわけない」と思っている人にとっては「鼻血が出たからといって直ちに放射能と結び付けられるわけない」ので、隠す圧力を加える動機がない上に寧ろ鼻血が有意に増加しているとしたら別の問題を発見しなければならない事態なんだからきちんと話してほしいとすら思っている、というのが正しい理解だと思うんだけど、もちろん、そこには「出るはずのない鼻血が有意に増加していると物事の前提が崩れるから隠さなきゃ」という理由を見出すことだってできる。
どっちの側にもトンデモさんはいるもので、まじめに「鼻血出てたらやべーだろ隠蔽しなきゃ」って考えている人もそりゃあいるだろうね。「鼻血なんて出るわけねーだろ」っていうのは当然「あの程度の放射線の影響で」という理由を伴っているんだけど、熱心な反放射脳の人は鼻血の事実さえ否定したがったりもするよね。
科学は無謬であるなんてまともな科学者は思ってはいないのですけど、そういう前提が時として共有されていないことでどっちの側にとっても不幸な解釈をされてしまうことはよくあって、科学コミュニケーションの問題はそこである、という指摘をされたりもするけど、これはどちらかと言うと教育の問題の部分が大きい。ともあれ、問題の範囲が咬み合わないことによって議論が咬み合わないということに当人たちが気づかないような事態がしょっちゅう生じているというのが現状の問題なんだろう。

まあ仮に政府や東電の圧力で「鼻血が出たって言うなんてトンデモナイ」という空気が漂っているとしたら、それはそれでトンデモな理由による圧力なので科学の側としても敵とみなすべきであって、「鼻血なんて出ないだろ」というのを政府や東電擁護と無条件でみなすような向きはそれはそれで理屈が通ってないことに気づいてほしいとは思う。あるいは、そういう陰謀があるということをでっち上げるために「鼻血が出たなんて言ったらヤバイ」という話を吹き込んでいる人がいたらそれは別の原因の可能性を無視して正常な医療を受ける機会を遠ざける半ば犯罪モノの話なんじゃないかと思ったりもする。