東京の階段−都市の「異空間」階段の楽しみ方 / 松本泰生

面白い本発見。

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方

うちの近所はあまり階段が無い。富士見台、桜台、平和台、氷川台と台が付く地名が多く、石神井川、千川(暗渠)、江古田川、妙正寺川、とあるので坂は多いのだけど、そんなに階段はない。
でも、予備校時代の駿河台あたりの坂は急で、階段があったなあ。神保町方面に下りる際に良く通ったものです。秋葉原方面に下りるほうは坂しかないな。聖坂のあたりは階段があった気もする。
大学時代は三田で過ごしたのでそこそこ坂があった。そして、都立中央図書館にかなりの頻度で用があったのだけど、頑張れば徒歩圏内なので、歩いていくと、色々な坂と階段に出会ったものだ。品川〜田町から山手線の内側にかけては結構な坂が多くて面白い。もっとも、自転車では地獄なので上手く坂を避けて通らなければならないけどね。
そんな思い出が甦る本でした。いい風景を見ると思わず行ってみたくなるよね!
作者さんのブログがあるようですので当該記事にリンクしときます。なんか色々面白そう。
東京の階段 - 都市徘徊blog
都市徘徊blog

リタリンがダメだからって他の薬まで危険物扱いとは酷いぞNHK

2008-04-04経由。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/tokuho/

新たなワナ 広がる薬物中毒
04月04日(金) 薬物中毒が新たな形で広がっている。最近増えているのが処方された薬を乱用するケース。去年秋、東京にある精神科のクリニックがうつ病の治療に使われる向精神薬リタリン」を不正な処方を行ったとして摘発された。リタリンは化学構造が覚せい剤と似ているため、処方された患者の依存症や乱用が問題となっている。不正な処方を行うクリニックの存在は口コミやインターネットなどを通して知れ渡り、簡単にリタリンが手に入る状態だった。現在、厚生労働省リタリンうつ病に処方できなくしているが、今も別の薬を不正に処方する医師がいるという。身近に忍び寄る“処方せんドラッグ”の実態を追う。

まあ、これだけ見ると妥当な報道に思えるのですが、実態としてはreponさんところで書かれているのが正しければ

  • 危ない薬のリスト
抗不安薬 睡眠導入剤 抗うつ剤
デパス ロヒプノール パキシルデプロメールジェイゾロフト
  • アナウンサー「では、医者選びはどうすれば良いんでしょうか?」
  • 知識人「治療には精神療法と薬物療法があり、そのバランスが大切です。それと、良く話を聞いてくれて、薬を大量に出さない医者が良いでしょう」
2008-04-04

うーん。正直なところ、リタリンは濫用するアホとそいつらに小遣い稼ぎで処方するアホ医者のせいで潰されたのは否めないところで、マスコミも過剰なバッシングではあったと思うけど、不当ではないと思うんだが、デパスとかパキシルまで危ない薬とか言われて大量に出さないのが良いとか言ってお前どこの知識人だよって感じですね。
これでまた良くなったと思った時点で「危険な薬だから飲みすぎは良くないよね」とか思って勝手に服用をやめちゃう患者が出たらどうするんだよこいつらは。治療を長引かせようとする悪徳医者の手先かオイ。
というかね、薬ってのははっきり言って毒ですよ。言っとくけど水にも致死量あるんだからね。目的外使用で問題になったことで本来の目的の使用が阻害されてどうするの。もちろんデパスや他の薬が安全って訳じゃない。むしろ、処方しすぎ、という話もある。でも、それを患者個々人が判断することは多分不可能。であれば、予断を与えて不安を煽ることが、特に精神が不安定になっている人々向けとしてされることになんら社会的な意味があるとは思えない。
あれだ、NHKには予算を不正に使用する人がいるから、NHKの職員はみんな潜在的汚職の危険性を持っているよね。これは事実だけど、不正に使用する人がいるから、ではなく、人間とはそういうもの、だからだよね。そして不正をチェックし是正する仕組みをきちんと持たなかったから責められている。もうNHKなんて要らないっていう声に対して「いや、俺達にはちゃんとした使命がある。不正をきちんと是正してNHKとしての使命を果たさなければならないんだ!」っていう風に考えているのであれば、こういう番組作らんよな。もっとも、弱者を叩いて権力の風通しを良くするのが使命だと勘違いしているんであれば、妥当な番組です。
必要以上に大量の薬を出す医者はダメだと思います。が、その量が妥当であるかどうかについて患者本人の判断をさせてはいけません。わかるわけないんだから。だから、こんな適当な医者選びの仕方を薦める番組などいらん。

社会悪と戦う正義の味方

b:id:ymScott氏からなんとなくご指名的idコールが来た(訳じゃないと思うがきっかけになった)ので軽い気持ちで書いてみる。
まず、内田樹氏と江川紹子氏が内容はともかく同じような展開の取り上げ方をしていたことに軽く驚く。まあ、話の内容は全然違う。なので内田氏の話には触れない。紹介だけしておく。

ドキュメンタリー映画靖国YASUKUNI』の上映が予定されていた映画館五館が、嫌がらせや営業妨害を懸念して、上映を取りやめた。
同じような事件は年初にもあった。
日教組の教研集会会場に予定されていたグランドプリンスホテル新高輪が同じ理由で使用を断ったのである。

誰か教えて - 内田樹の研究室

高輪プリンスホテルが、日教組の大会や宿泊の契約を一方的に反故にし、集会・結社の自由を毀損したのも、右翼の街宣活動を恐れての萎縮だった。

Egawa Shoko Journal: この萎縮現象は、表現の自由の自殺行為だ

僕は、この二つの事件の類似性の核心は「右翼の街宣活動を恐れて」にあって、「萎縮したものの責任」というのは全く感じない。だいたい、表現の自由を建前にする際に、右翼の主張の自由はいつもどこかに行ってしまう。そこは論点ではないけれども、若干の違和感があるところではある。
だけど、

もちろん、大音響で威嚇的な抗議を行い、嫌がらせを行う個人や団体も問題だ。
こうした嫌がらせから、警察が言論・表現・集会の自由をどれほどしっかり守っているか、ということも問い直されなければならない。

Egawa Shoko Journal: この萎縮現象は、表現の自由の自殺行為だ

威嚇的な抗議を行う個人や団体は問題だ。むしろ、それらの存在に対して映画館が責任を引き受けて上映を強行しなければならない社会的使命などは存在しない。一年中東映まんがまつりであってはならない理由がないくらいには。
だけれども、表現の自由を際限なく認めるのであれば、右翼の抗議のどこが悪いのか、ということにもなりかねない。そもそもがマスメディア自体が権力の監視や是正を標榜している存在ではあるのだが。
そして、警察が言論・表現・集会の自由を守るべき存在かというと、それも疑問だ。警察が秩序を守った結果として、これらの自由が守られるわけであり、誰かの自由を排除することによって他の人の自由を確保しようという話では全くない。度を越えた嫌がらせを取り締まる以上のことを警察に期待してはならないし(なぜなら、警察の介入が度を越えるということは表現の自由への干渉であるからだ)、期待できる行為そのものも「表現の自由を守る」行為だとまでは到底いえない。
ありていにいえば、右翼と戦うべきはプリンスホテルも映画館でもなく、日教組や配給会社であるのだ。これもちょっと無理筋な話ではある。戦ったところで上映の場が得られるわけでもない(むしろ、揉め事を起こすことで余計に拒否の姿勢をしめされるだろう)。しかし、映画館が戦わないことを選択したことに対して「自分たちは「表現活動の場」を提供しているという自覚の欠如には、唖然」とするのはおかしいのではないだろうか。少なくとも一流のジャーナリストが書くようなことではない。映画館も商売である以上、上映することのリスクがリターンの期待値を大きく下回るのであれば、現実的に上映することは出来ない。そうではないか。表現活動の場を提供することを継続して続けていくためには、映画館を潰してはならないのであるから。長い目で見ると、ここで屈したことが表現活動にとってはマイナスであるかも知れないが、映画館の経営は大富豪の道楽なわけでもないだろう。
純化すると、この問題は、大音響で威嚇的な抗議を行い、嫌がらせを行う個人や団体「が」問題というだけのことであり、それ以上の問題ではありえない。プリンスホテルの場合は、契約不履行であり、裁判所の命令無視であるところが最大の焦点であった。今回はそうではない。映画館は「表現の自由」に忠実な飼い犬なのだろうか。そうではあるまい。
配給会社自身でサラリーマン金太郎よろしく乗り込んで、いや、山岡士郎流に料理で丸め込んでも良いから右翼を黙らせることができるのであればよいのだろう。それが出来ないのであれば、戦わないことを選択した映画館に文句を資格すら危うい。もっとも、一度は配給すると言明したのであるから、愚痴の一つや二つは出てくるのは仕方がないが。
社会正義を貫くことのできる職業などごく限られていることを自覚し、戦略的な言動を行っていかないと、ジャーナリストなど風前の灯火である。矢面に立つのは誰であるべきかが問題の本質だとしたら、真っ先に立ち、また盾になるのがマスコミ(というかジャーナリズム)の使命なのではないか。映画館の責任を並びたてて、味方の最前線に向けて後方射撃をしているようでは、お先真っ暗ではある。