スルー力私見

本来スルー力という言葉が使うとしたら、それは相手が向かってきているものだから。来ないものをスルーするわけには行きません。「これ俺宛?、俺のこと?」(いわゆるクリリンのことかー」か?)に対してスルーしてみせるけど、実はスルーじゃなくて自ら球を奪いに行っていることが多いよね。
だから、使い始めた時点で本来の「スルー」が意味していることを曲げて定義しているように思える。自分もそうだけど、ブクマコメントでスルー力とか言っているときって別に当事者じゃないことも多い。もちろん、広く投げかけられた問いの場合はスルーと言ってもよい場合もありそうだけど。
じゃあなんでスルー力って言うのかと言うと、「その意見には納得できないけど反論するコストも勿体無い」的な気分があるのかな。本来のスタンスから言うとスルーすべきではないけど粘着コメントに付き合うくらいだったら最初から無視すべきとか、あまりにどうでもいい言説とか。きっとブクマコメントがなければ完全無視だと思う。そういうレベルのものであるにもかかわらず、あえて突っ込んで言って泥沼にはまるとき「スルーしろよ」と言われるんじゃないかな。
もう一つ、本来の「向かってきているもの」に対するスルー力。こっちは難しい。少なくとも見なかったことにはできないことが多いし。向かってきてないものと同じスタンスを取ることはできなくもないけれど、それを「スルー力」と言われてしまうとちょっと違うと思う。どっちかというと「無視」だと思う。そこであえて「華麗にスルー」とか言ったなら、無視しますよって言う表明にはなるのですが、その時点で無視ではないつまり完全スルーではなくて、相手はしているよね。
スルー力」って言葉自体、対象を茶化すニュアンスがあると思うから、あんまり真剣な場では使うべきでないと思ったりはします。
雑感です。スルーしてね。