著作者は搾取されていると知るべき

ここ最近の著作権の延長問題についての議論を見ると、著作物が消費財だということが見て取れる。反対派はこうだ「二次利用が阻害される」。賛成派は「著作者への報酬によるやる気を生み出す」。再三述べてきたように、著作権と言うのは本来直接生活することに結びつかない「著作」と言う存在を売り物にするメディア業界と著作者の思惑によって出来上がってきたものだ。その中で本当の意味の「著作権*1」の占める割合は少なく、如何に財産として定義し、またその財産を犯されないようにするかのアイディアばかりが詰まっている。
出版にせよ、音楽にせよ、ほぼ全ての場合、利益を得る行動は「著作財産権を譲渡し、運用してもらう」ことである。つまり「広める手段とマーケットを生み出す代わり、一定の契約の範囲内でリターンする以外の権利は譲れ」ということだ。ところが、もうこの何年かで前者の「広く知らしめる手段」は完全にメディア業界の手を離れることが可能になった。つまり、マーケットを創出することさえできれば、メディア業界の頚木から解き放たれることが可能になったと言うことだ。
著作権を厳しく適用していくことを求めると言うのは、「俺たちが守ってあげているんだぞ」というメディア側のアピールだ。悪いようにしないからまだまだ俺たちに任せとけ、と甘い言葉で誘っているのだ。著作者は本当にそれが必要かつ最適なことなのかどうかもう一度考えてみた方が良いのではないか*2
もちろん、安穏に今までどおりやっていくと言う選択肢は、世界が変わらないことが保障されているのであればありだろう。しかし、消費財に成り下がった著作物に求められるているのは「作者がいなくなった後メディア丸儲け」的な部分が中心と言うことに気付くべきだ。より「正当な報酬」を得たいのであれば、メディアのありようの変化に合わせて新たな構造を模索するのが先であって、既存メディアの既得権益を強化することを議論している著作者は結局「保護」や「売れないもの救済*3」の名の下で著作物を消費している業界の永遠の奴隷である。

*1:飯のタネという話を無視すると、残るのは著作に対する自らが作者であると謳う権利と著作物の尊厳の維持

*2:当エントリで具体的な方策を示唆できないのは苦しいところですが、今後考えて行きたいですね

*3:これやっているところ儲かってないよね