170ミリ秒の差は熟考の結果か

コーネル大学の研究結果によると、10代の若者は大人よりもほんの少し危険について考えているのだそうな。

実際、十代の若者たちは危険について、むしろ大人たちよりも時間をかけて(約170ミリ秒以上*)様々な角度から熟考し、より重くそれを評価しているのである。彼らは過大評価した危険性ゆえにそれを無視し、差し当たっての高い満足を期待するのだ。コーネル大学人間発達科学教授、バレリー・レイナ女史はそう語る。
医学都市伝説 なぜ若者はバカなことをするのか?

そうなのかな?心理学の徒(昔の話ですが)としてはあまり感覚的な思考でものを言うのはよろしくないと思いつつ、参照先の論文をちゃんと読まずに哲学的な思考実験。
そもそも、判断するために思考するとはどういうことなのでしょう。判断力は材料を分析する能力であると言ったら言い過ぎかもしれませんが、少なからず「判断材料」をお求めるものです。10代の若者とそれ以降の大人たちの違い。それは、既に挙げられた危険についての評価が一通り終わっているかどうかの差ではないかと思うのです。この論文*1で挙げられている危険は以下のようなものです。一部抜粋

  • シートベルト(をしないこと)
  • 飲酒運転
  • 武器の携帯
  • けんか
  • 喫煙
  • 飲酒
  • 麻薬

10代の初めから終わりにかけて、わりと長く接するものや、10代のうちあるいは法的には試すことが不可能なものもあります。好奇心はあるかもしれませんが、肉体的な危険だけではなく「自分の生活を脅かす」社会的な危険も含め強く「キケン・近寄るな」とマーキングされている大人の知識に比べ、重みのある判断材料に乏しい10代の若者は、様々な理由を求め、自分の判断材料をあさる必要があります。大人は上記のリストと危険であることの対応付けが理由を考える必要のないくらい既にされているから、思考の時間が短いだけであって、決して若者が危険についてより深遠な思索をしているとは思えないのです。
とすると、判断力とは非常にやっかいな能力であって、物事についての再評価を困難にする能力であると言えるのかもしれません。例えば、以前の成功体験にしがみついて、同じやり方に固執するような人は、「やり方」に強い「正のマーキング」がされている一方で、上手くいった理由に「環境」が含まれていることを無視しているかもしれません。その場合、環境が変わることでやり方が通用しないことに気付かず、旧来の判断基準で物事を進めて行っているかもしれません。
人間が年をとると頑固になる傾向が強いのは、それだけ生きていく間に積み重ねていった判断が思考を支配しているのが原因なのでしょうか。もしそうであるとしたら、時代についていけないただの頑迷なお年寄にならないためには、判断を行ったときにはそれが上手くいったときも上手くいかなかったときも原因をしっかりと分析し、常に判断材料としての知識や経験をアップデートしていかないといけませんね。いわゆる直感が優れていると言う人はこの材料が豊富にあり、また常にアップデートしている人なんじゃないかと思います。
人間の社会という観点まで話を大きくすると、判断を下す人というのは常に過去・歴史に学ばなければならないわけです。ここでは、どうやったら上手くいくかを事例研究することも大事かと思いますが、どちらかというと、同じ失敗を繰り返さないと言うことがより重要になります。人の上に立つ立場になったとき、今までの自分の成功体験に頼らず、過去そのポジションで何が行われてきたかと言うことを冷静に噛み砕いて自分の判断力を磨いていきたいものですね。