奴隷だ社畜だって言うけれど

働くって何だろう。何のために必要なのだろうか。人間らしい生活とは。「〜時間も残業があって辛い」というと「そんなの残業しているうちにはいらねーよwww」という。と、残業時間自慢・会社の奴隷と言われる。「ベンチャーで仕事が楽しくて会社に泊まりこみ」というと「社長にいいように搾取されているだけw」と言われる。それは一面の真実ではあるものの、そういった言葉で切って捨てられるべきことではない。
そもそも、古来から一部の特権階級を除いて働くことは生きることだったのであるから、与えられた条件で働き続けることを否定的に捉えるのは間違っているだろう。欧米の働き方は狩猟っぽい。一定の成果が出たら終わり。効率が良ければしばらく遊んで暮らせるし、原始的にはそこで頑張っちゃうとかえって獲物が無くなるから抑制するおきてもあるだろうし。一方で、農耕的な労働をしている日本人。いずれにしても、最低限期待される収穫に満たなかった場合はのたれ死ぬしかない。
現代社会は悲しいかな、日が沈んだら強制的に終了なはずの仕事が文明の発達とともに終わらなくなってしまった。そこでも収穫が得られない恐怖を盾に仕事を迫られる。どうしても仕事をしなければならない。土地は限られている。職にあぶれて喰うにも事欠く小作人はいっぱい居る。さて、どうするべきか。
長時間労働を強いられている現状が労働者個人の意識の問題にあることはある意味正しい。だからと言って、そんなことを考えることもできず生きるために頑張っている人たち自身を貶めることは必要ないだろう。ましてや、その仕事に満足している人々を。単に生きる手段としての仕事と仕事を人生として楽しむ人ではおのずから態度も立場も異なる。労働時間や給与だけが絶対的な指標ではない。
一律で「長時間労働は良くない」と言い切ってしまうことはとても不自然に思える。とは言え「意に沿わぬ」労働であることを客観的に示すのも難しい。働くこと=生きることと言い切れなくなってきた時代だからこそ、働くことの意味をかみ締めながら生きていかなければならないよなあと思う。