なんで無断リンク禁止とか転載機能に文句をつけるのか

ちょっと考えてみた。端的に言うと、僕が作る側の人だからかもしれない。
もうね、あの人とかあの人個人をどうこうしようとは思っていないと言うか、こちらも自分が正しいと思っているし、あちらも自分が正しいと思っているから、分かり合えるとしたらそれはネット上の議論ではないところに拠らなければならないと思っています。
にも関わらず、何のために何度も主張しているかと言うと、やっぱりそれが正しいと思っているからですね。その点においてはかの人たちとなんら変わることはないと思いますし、向こう側の言い分自体を認めないわけではなく、それでもなおかつ「この世界の基盤がどこにあるか」を意識してシステムを作っている身としては、それが正しいと認めるわけには行かないから、主張しているのかな。もちろん、インターネットの神ならぬ身としては、必ずしも正しいとはいえない原理主義に陥ってしまっている可能性は常に意識しなければならないわけですけれども。
もしかしたら、宗教者が「そんな新興宗教は認めん!」と排斥運動をしている構図なのかもしれません。何年か後には立場が逆転しているかもしれません。開発者として、また一利用者として、その未来を回避したいからこそ声高に排斥を求めているのだとしたら、我々もまたひとつの教義に縛られた視野の狭い活動家なのかもしれません。高々自分の中だけにある思想を「利用者の未来」ではなく「インターネットの未来」としてさもシステムとしてこうあるべきと騙っているだけなのかもしれません。しかしそれが信じる道であるから決定的な敗北を得るまでは例え断続的であっても主張を止めることはないでしょう。
ただ、現状では宗教論争どころか単に筋のとおらないことを言っている人を生贄にしている感はあります。それも必要と思ってやっているのであればよいのですが、単に面白がっているだけだとしたら悪趣味の謗りは免れません。批判の背景にきちんとした思想があるかどうかはその点でとても重要です。そして覚悟も。