腑に落ちた。

「納豆にダイエット効果がない」の件について。コメントが発端になってしまったのもありますし、松永氏の後続エントリで僕の中では腑に落ちたので一応最後としてまとめておきます。
あるある大事典の「実験捏造」は「納豆ダイエットに効果がない」を意味しない [絵文録ことのは]2007-01-23 *1についてのコメント。松永氏の主張に対して、「「人々が期待しているデータに裏付けられた確かな効果はなかった」とは言い切れるわけだし」というコメントを付けたら言い切れないと否定される。この時点で、松永氏は「納豆のダイエット効果がないと言うのはNGだし、その態度は非科学的だ」という主張をしているのに対し、僕のコメントは「番組で実証されたという効果はなかったと言ってよいんじゃないか」であり、何故こんなコメントになったかというと元のエントリが「ダイエット効果がなかったという人がいる」という枕を受けて展開された話だったため、「単に言い方の問題なんじゃないの」と思ってのことなんだけど、どうやら論旨は「科学的に正確な物言いをすべきだ」というのを納豆のダイエット効果がないとは言えないことを例にとって実証するものだったようです。
でそのことは今日のエントリ備忘録ことのはインフォーマル ここまで言わんとわからんのか?の喩えを読んで腑に落ちた(ことが勘違いじゃなければよいのですが)。

「あるあるが撮影しに行ったと言っていたネッシーの写真は、実は現場に撮りに行っておらず、CG合成だった」としよう。ここで「ほらやっぱりネッシーなんて存在しなかったんだ」といったらおかしい、と言っているのだ。わっかるかなー、わっかんねーのかなー。

そう。おかしい。この喩えで言うと僕が言いたかったのはあるあるを見てネッシーの存在がはっきりしたし、簡単に見れますよって紹介されたので実際にいけばかなりの確率で見れることを期待して見に行ったのに結局存在は未だ謎のままだったことが判明したときに「なんだやっぱりいねーじゃん」という言葉による反応が起きるのはそんなにおかしくないよってこと。お金使っちゃったわけだし。実は本当は居て偶然見れたかも知れない可能性を明示的に否定しているわけではない。その類の発言を紹介した上で、「いないのがわかったというのはおかしい」と言っていると思ったということなのですが*2。そこで「科学的にないことが証明されていないのにないという物言いは非科学的な輩だ」的な意図で書かれ、納豆のダイエット効果を検証する記事ではなくそのような物言いをする人を批判するための記事だったと僕は誤解しているのです。
そのあとのエントリが「納豆のダイエット効果が否定されたわけじゃないこと」とその科学的立場について展開されているのですがそこでカルトだなんだと否定される方が出てきたのでそれも違うだろうと思ったりもしました。批判されるべきことを言っているようにも思えないけど。いずれにせよ(僕のような適当なコメントも含めて)単に否定的な言葉というだけで反応しなければいいのにと思ったりもします。大体この話は疑似科学の話じゃないわけだし。疑似科学って言葉も陳腐化というか意味がずれてきたなあ。

*1:元ははてな内の「絵文録ことのはインフォーマル」に書かれていたがのち移動された

*2:コメントの続きは自分でも全く蛇足だとは思いますし言い切れるってのも過剰な言葉だとは思います。