文化を守るために必要な戦略

あるあるの話に限らず、テレビでの情報が広まってしまう背景には

  • 情報源が限られている
  • もともとそれがどういうものなのか知らない

ということがあるんではないかと思う。なぜかというと

音をたてない拍手で神社のお参りをする女性が急に増えている。これは「葬儀」の際のやり方で間違った作法なんだそうである。占い師の細木数子さんがテレビの番組で指南したのを真に受けてしまったことが原因のようだ。

http://www.j-cast.com/2007/03/01005851.html

なんて記事を読んだから。僕が街中をフラフラして見かける神社は大抵「二拝(礼)二拍手二拝」と書いてあるけれど、そうでない場合、ちゃんとどうするべきか聞いた事のない人は幼少の頃の記憶や親の指導の下により礼拝を行うことになる。そうやって曖昧なままに毎年お参りをしている人が上記の番組を見た場合、「これが正しかったんだ!」と刷り込まれること間違いなし。何しろ、一般的日本人は年に一度は神社に行くだろうし、そのとき常に疑問を感じているけれど、通常、年に一度その疑問を思い出すだけだからだ。
となれば、神社本庁のとるべき戦略は簡単であり、年末年始(とくに12/31が望ましい)の番組中にタレントを使ってお参りの予行演習をするような番組でも提供すればよいわけだ。正しい参拝がご利益に繋がるとなればちゃんと参拝のお作法を覚える視聴者も多いだろうし、何年かに一度そういうお金を使っても問題ないだろうし、スポンサーになってくれる団体だってそこそこいるだろう。
この話に限らず、メディアの影響を軽視しすぎて間違った情報に苦情を申し立てるところが多いけれども、「普段疑問に思うのだけど、何でそれを誰も教えてくれないんだろう」という問題についてこういう事態が発生することは単に正しい情報を伝える努力をしてこなかった怠慢が原因なのである。
もちろん、この手の話は地域によっても異なる作法を持っていたりするから話は単純でない(特に葬式なんかは)。だけれども、3世代が同居することも少なくなり、地域のコミュニティーも縮小する今、家庭の、あるいは地域の知恵袋というのはあるかなきかの状態で、メディアに流れる情報が「常識」と受け取られることも多い。白いキャンパスを染め上げた情報を他の色に塗り替えるのは困難なのであるから、正しい情報を伝えるような努力が必要なのだ。
もし、テレビが予算の関係で、あるいはテレビ局の意向でそれを伝えることが出来ないのであれば、ウェブがそれを担うことも可能になってきた。ウェブ上でも個人の知識に頼ってきた本来は社会で伝えていくべきことについて、しかるべき機関がきちんとした対応を取っていくことでこうした形のない文化は残っていく。知識を伝えるべき地域コミュニティーが崩壊したのは時代の流れであり、それで知識が失われることを「仕方がない」と思っているのであれば、作法が変質することも仕方がないことであるし、それを避けなければならないのであれば、時代にあったやり方で知識を継承していくすべを検討しなければならないのだ。礼拝にしろ何にしろ、ある程度やりかたが地域に定着していたのは自然に起きたことではなく、先人の努力があったからだ。その努力に胡坐をかくことで今まで何もしなくて済んだのであり、これからも何もしないのであれば、それは滅び行く定めを持ったものなのだろう。