下手な反論は相手を補強する
反論が反論になっていないとき、それを論破するのは非常にたやすく、論破されたことで元の論が正しいのではないかという印象を与える。
- A⇒Bである
- いや、A⇒Cじゃね?
- A⇒Cであることは〜のためありえない。よってA⇒Bである
- いや、A⇒Cじゃね?
- A⇒Bである
- A⇒Bじゃないのは〜の理由で否定できる
- 〜の理由は正しくない。よってA⇒Bである
- A⇒Bじゃないのは〜の理由で否定できる
- A⇒Bである
- でもB⇒Aじゃないよね
- A⇒Bは成り立つがB⇒Aが成り立たないのは自明である。よってA⇒Bは否定されない
- でもB⇒Aじゃないよね
etc...
「よって」の部分はもともとの主張にはない部分であるから、反論があることによってかえって補強材料が生まれた、と言えるのだろうか。よく見ると、この「よって」は全然元の論を補強する根拠になってはいないのだけれども、一見反対論者が論破されたように見えることによって元の論が(よく読めてない野次馬に)あたかも正しいかのように受け取られてしまう可能性があることを認識しておかねばならないと思う。