年金、もらえるかどうかが焦点じゃないよね。

磯崎先生がおっしゃることは確かにそのとおりなんだけど、

おそらく、世間の人のほとんどは、年金は預金などと同じく「自分のお金を政府に預けている」ものだから、いつか「(利息をつけて)返してもらえる」ものだし、年金を受け取れるのは、掛金を負担した者として当然の権利、と思ってらっしゃると思います。

「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない | isologue

たとえ世間の人がそのとおりに思ってたとしても、この言い方はミスリードなんじゃないかなあ。
当然、もらえないかもしれないってのはあるんだけれど、破綻して、あるいは制度が変わってもらえないのは平等におきる出来事なんだけど、収めたはずなのに収めたことになってなくて、それによって給付に差が出るっていうのは全然平等じゃない。だから、問題なんじゃないの?
だから、

・・・ということだと、もともと受託者として「人のカネを預かっている」責任感といったものは、生まれるはずもない構造だった、ということなんでしょうね。

「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない | isologue

と言うのもちょっと違うかな。責任感が生まれるべきなのは、人の金をどうとかいう感覚の部分ではなく、仕事をちゃんとこなすことで不公平がおきないようにすることに対してじゃないかな。そして、自治労社会保険庁と締結した協約?なんかを見ると「仕事をちゃんとする」という意識はさらさら無く、仕事を可能な限り少なくすることに情熱を燃やしていたそうですね。
戦争がおきたり革命がおきたり、とにかく何か突発的な原因も含めて、もらえなくなるかもしれない、もらえても額が下がるという未来は(みんなではないと思うけど)ある程度折込済みですよね。でも、納付している側の原因ではないミスで、本来もらえるべきものを「一部の人が」もらえないっていうことは想定していないし、自分たちの怠慢が招いたこのようなミスのリカバリーは全力でやるのが人間として、組織としての義務だと思う。たとえそれで財源が足りなくなったとしてもね。
それが民主主義社会の建前じゃないのかなあ。