罵倒はNG、罵倒コミュはOK?

例の特急電車暴行事件は公共の場においての出来事でありますから、見知らぬ他人同士(当事者含む)で

  • 事実ががにわかに判断しづらい
  • 間違ってたらこっちがやばそう(怖いおにーさん)
  • いずれにしても巻き込まれたくない

というあたりから傍観という場の空気が合意形成されたということだと思います。ネット上での罵倒と罵倒コミュも、他者がにわかに判断しづらい点においてはあまり変わらないのですが、2番目に対するハードルが低いため、現実世界に比べるとツッコまれることが多いように思います。
ところで、ツッコんだあと「これは罵倒コミュだからいいの」ってのは現実においての「イジメじゃなくて遊んでただけです」と容易には区別が付かないから、そこを継続的に観察する必要があって、本当にコミュなのかどうかはやっぱりすぐには判断できないわけです。ネットについてはある程度それまでのやりとりがエビデンスとして残るわけだから、判断材料はあります。逆に、何かを訴えかけるような目とかそういうものは見えない。
だから、それまでのやりとりしか材料にならないと言うことは、狼少年的悲劇というかそういうものは結構ありえるんじゃないかなあ。普段罵倒コミュが形成されている中で本気の罵倒や脅迫的言動がなされたとき、客観的に見て「あーまた罵倒コミュかよ」という空気が形成されるというのは十分ある。でも、ネット上のコミュニケーションなんて切り離しちゃえばいいから致命的な問題ではないのかな。僕はそうは思っていないんだけどね。