システムの値段と運用

システム開発は、たとえ要求の洗い出しとシステムへの落とし込みが上手くいったとしても、最終的には値段と納期によって出来てくる物には差が出ます。入力ミスが起こるようなシステムは、設計ミスかもしれないし、それを運用でカバーするということで要件を落としたのかもしれない。だから、短絡的に「入力ミスが発生するシステムが悪い」という発想はあまりよろしくないと思う。システムというのは「正しく」作られるべきだし、そうでないものは欠陥品だ、と考えることは理想的ではありますが、正しくないことを許容してしまったのがシステム開発側であるか、そうでないかは、実際の開発の現場を見ることができた人にしかわかりません。古いシステムなら要求仕様書も、設計書もちゃんと残ってないかも知れないから尚更検証が難しい。
ただ、現実にそこにそういうシステムがあって、それを運用して作業しなければならないときに、その弱点を「しょうがない」というだけでスルーしてしまうのであれば、結局のところ、なぜシステム化したのか、という目的を運用する側がちゃんと押さえてないといわざるを得ません。目的があって、とりあえず、例えば年金の記録を電子化する、という最低限の要件は実現しているけれども、入力エラーを検出できない、とすると、精査ができる運用を考えなければならないのは記録を預かる職務としては通常の業務の範囲内なんじゃないでしょうか。銀行なんて必ずダブルチェックしているはず。
実際に作られたシステムの値段と性能がマッチしていたかと言うと、多分そうではないでしょう。でも、納入されちゃったものを欠陥がわかっていながらカバーする手段を考えずに運用し、その結果としてトラブルが起きていることをシステムの欠陥だとするのではどうしようもない。
システムでも、それを使う職員でもない、本来なんとかすべき人がなんとかしなかったことが問題の根本的な原因なのではないか。