電子化された著作物についてのとりとめない話

MDが世に出たころ、わりとまじめなバンド関係者の感想としては、「安くて小さい録音機材がでたー」的なものなんじゃないかと思ったりするのですが、それまでテープで録音して聞きなおすのに頭出すのも面倒な状態から開放されて練習がスムーズに進むと言う大きな進歩に涙したものです。今ではすっかりシリコン系に主役の座を奪われてしまいましたが、それはPCの一般化に伴ってストレージの旗艦としてHDDに一元化することができたからであり、またPCでの編集機能や配布の容易性がそれを加速しているわけです。そして、映像分野では、同様にホームビデオ的なもののデジタル化と容量の拡大に伴ったPCの旗艦化が進みます。
これらはもちろん私的録音保証金を払う筋合いの無いものです。のみならず、PCに保存されるものはその他のデータについても山盛りあります。なぜ、特定の団体に対して保証金を払う必要があるのか。(著作物の)私的録音として使われなかった部分は丸儲けじゃないですか。定価の約1.5%ですよ。
こういう税金的なお金の取り方をすることは、それでもMDやCD-Rではそれなりに受け入れられていました。保証金あるから買わないって人あまりいないもの。でも、それはメディアが安い、あるいはどんどん安くなることに比べてあまりに些少な金額だったこと、また、実際にMDなんかはCDのコピーに使われることも多かったからではないでしょうか。でも、手持ちのCDを外で聞くためにMDにコピーすることに対してお金がかかる合理的な理由にはなりえません。PCからiPodに移すことについても同様に納得いく説明を聞いたことがありません。〜をするかも知れないから強制的に徴収、と言うと自賠責保険を思い出します。
一つ思っていることがあります。本当に欲しいものには対価を払ってでも手に入れたいと思っても、廃盤などの理由によって手に入れられないものがありますが、廃盤になる理由は管理コストなのでしょうから、ネット販売すればロングテール的に売れるかも知れない。売れないかも知れないけれど、それほどのコストにはならないと思われます。こういうのはすぐに成果の出るビジネスにはなり得ないかもしれないけれど、音楽業界が文化の担い手と言う自負があれば、すぐにでもきちんとはじめるべきことなんじゃないかと思うのです。でも、腰が重い。業界が消費される音楽ですら売れる方法を見失っているということは、何が単に消費されるだけではないものかということまでわからなくなってしまったのかもしれませんが、そのへん何とかしてもらいたい。音楽が、単なるデータでないことを証明するのは業界の仕事です。
文字情報は、目から入力して脳内で再生するもの。聴覚・視覚情報は再生されたものを入力して脳内で再構築するもの。小説が、文字があれば存続するものに対して、パッケージ化された演奏がないと成立し得ない音楽*1。コスト上仕方が無い、というのならわかります。かつてはそうだったかも知れない。でも、そのコストが減少したとき、権利者の義務として権利を持っているものを流通させる、ということがあるんじゃないかなあって思います。

*1:もちろん、楽譜として残るものはありますが、それを演奏した記録、という意味で。