現実になぞらえることの無理やり感

いよいよ「美しい日本」という言葉まで飛び出しますますネタ感が高まってきました。なんか、ekken氏とのやりとりに横槍を入れているけど相手にされてない感。いつものことですが。

肉体的な苦痛を伴わない学校でのいじめや、強姦・強制わいせつに至らないセクシャルハラスメント、あるいはマスメディアによる名誉毀損等の対策も、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

もちろん、気にならなければ何もしなくてよいですよね。なんで「ネガティブコメント」が上記のものと無条件でイコールになるのか。なりませんね。全ては「度を越えた」ということが必要であり、その線引きは容易ではありません。

別に、朝登校してみたら教室の黒板に自分の名前とともに「死ね」等の罵倒表現が連日書き込まれるという事態が生じたとしても、

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

学校の黒板は制御できませんがブログのコメント欄は制御できます。ネットのほうが安全ですね。

あるいは、休み時間のたびにあるいは授業中も含めて数人に取り囲まれて延々と「ばか」だの「死ね」だの言われ続けるという自体が連日続いたとしても「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

強制的に囲まれることもネットではありません。ネットでいじめられる程度でよかった!

そりゃ、学校や先生は楽です。むしろ、先生も一緒になって、「確かにあいつは生きている価値がないよな。もっと言ってやれ」みたいなこと申し向ければ教室内では人気者になれる可能性もあります。もう文部科学省厚生労働省も、いじめ対策やセクハラ対策に頭を悩ませる必要はありません。「被害者が気にしなければ済む」。これでおしまいです。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

現実でも事実隠蔽に勤しんでいますからね。一緒に死ねっていう先生もいらっしゃるようで。

で、そうなれば、他に選択の余地がある限り、まともな人間はそこから脱出していくことになるでしょうね。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

脱出できる!素晴らしい。転校したりと経済的な負担を擁する現実に比べてどんなに楽なことか。

もっとも、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」社会では、被害者がどこまで逃げても、加害者たちはどこまでも負ってきて、最後は、被害者が自殺するか精神に異常を来すところまで追い詰められるかもしれません。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

そういえば、凶悪犯罪加害者は反省して刑期を勤め上げて出所しても風の噂で働くことも住むことも断られることがあるみたいですね。

そうなれば、加害者たちは、満面の達成感ですごい幸福な思いに浸ることができるかもしれません。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

死んでせいせいしたっていういじめの加害者がいるくらいだからネットにいてもおかしくないですね。

誹謗中傷が社会に溢れ、被害者はただただこれを堪え忍び泣き寝入りするしかない美しい国日本!っていうところを目指そうってことでしょうか。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!: la_causette

こうしてみると現実の方がより逃げ場がなくて怖いように思えますが、実名でしかネット活動が出来なかったらどうでしょう。ネットという、どこまでも繋がっていて逃げ場が無い世界で一度実名を出してしまうことの恐怖。ちょっとした過ちが一生検索され、明るみに出されてしまう美しい日本!、ってところでしょうか。もういっそ自他に関わらず実名を出したら逮捕、っていうウェブ世界にしてしまったらどうですか?宣伝は出来なくなりますが、愚痴とか文句とかが全く無い美しいウェブになるかも知れませんよ。
学術的一次情報しかおかなければよいのです。たとえ学者同士であっても解釈によって誹謗中傷になるならば、議論しなければよいのです。もう論文のテキストとか調査データとかしか置かないでおけば良いじゃないですか。あとは全部ビジネス。でもamazonのビジネスモデルは崩壊。レビューは名誉毀損です!
著名人しか書き込めない、美しいウェブ。いやはや、素晴らしさに涙が止まりませんね。せっかく考える力を多少なりとも身につけようとしていた大衆をまた分断と一方的情報の中に置くのは来るべき完全統制社会においては実に重要な課題ですね。