実名で起きる問題は確度の低い危険、か?

それを言うなら匿名で起きる問題も同じように確度が低い、と言う話になりそうなものですが、匿名が卑怯者を生む直接の原因だと言う話で押し切られてしまいます。なぜでしょう。議論のパラダイムが違うからでしょうか。

その「制約」なるものがかなり被害妄想的、といいますかかなり確度の低い危険をあげつらっているように見えますので、結論としては現実離れをしたものとなっています。もちろん、匿名の陰から一歩踏み出せない、勇気のない方々にとっては、匿名の陰から一歩も踏み出せない自分を正当化してくれる言説なので、はてなブックコメント等でも賞賛のコメントが集まっていますが、では実際に実名でブログを開設している人々がそのような危険に日々さらされているのかというと、そんなことはありません。

もう少し勇気を持って!: la_causette

コメンターの方々皆衆愚扱いですね。あげつらっている、と言うのであれば小倉先生の匿名批判も匿名の人の大半が卑怯な言動を繰り返すものだ、とあげつらっているように思えます。どちらの側も、やる人はやる、やらない人はやらない、と言うのが現実です。その他色々反論したいところですが、水掛け論にしかならないのがわかっていますので止めておきます。
日々危険に晒されていない、と言う点については僕もそう思います。それは、今実名で活動している人が、言説において立場を逸脱しない、不要なことを書かない、ということが出来ているかまたは膨大な情報量の中に埋もれていて抽出されていないからなのではないでしょうか。あと、なんだかんだで犯罪発生率自体が低いし、誘拐はリスクが高い。そういう点を持って匿名ブロガーの腰が引けているところがあるのではないか、というと確かにそんなところはあると思います。
しかしながら、それを確度の低い危険と言い切る根拠は「今」「自分の認識している範囲」でしかありませんね。mixiがなぜ原則実名で繋がろうから実名を明かすのは自己責任と変わっていったか。僕の周りの人々はずいぶんイニシャルだけ公開になりました。何ででしょうか。
ただ、まとめとして書いた、匿名でありたい思いの部分についての言及は一切ありませんでした。その点についてどういった解決策を持っているのかが気になります。書くな、であればあまりに低レベルと言うか、ウェブの世界を自分の思う用途にしか使わせたくない的発想になってしまいますから、そんなことは無いと思うのですが…こちらが匿名でいることで、話に出る対象も匿名でいられる、と言うのは重要な話に思えます。
コメント等で何人かの方が提案されていた「実名と匿名両方持って書き分ける」と言うのが社会に有益なコンテンツを生むという点では建設的な発想かと思います。が、そこでも匿名の陰に隠れて云々というのであれば、どうしようもありませんね。

たとえば私が感銘を受けた本を人に勧める場合、本屋に行く途中に車に轢かれたりネット書店で購入する際にカード情報が盗まれたりする事態を想定しなければならないのでしょうか。
私はそうは思いません。勧められた側がそれこそ自己責任で行動すべきと思います。他人の意見に従ったのは他ならぬ自分なのですから。

実名なんて怖くない - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

たとえが悪いだけだと思います。居酒屋で周りを見ずに上司の悪口を言ったら隣に上司がいたってのは自己責任だと思いますが、その居酒屋が客の会話を全て録音し、世界中に公開しているのを知っているのであれば、どんなに素晴らしい料理やお酒が出てくる居酒屋であっても人に勧める際に録音されていることくらいは教えるべきじゃないのでしょうか。教えてあげないと大抵事前には気付けない情報を伝えず、気付かなかったら自己責任ってのはちょっとどうかと思います。それが世間一般的に常識として知るべきことであればまだしも。
実名でやっている人と匿名でやっている人はそれぞれやりたいこと、見ているものが違うように思えます。その人たちに対して「自分は平気だから〜になろう」と言うのは全然理由にはならないんだろうな、とふと思いました。