名札をつけて、歩く

今のオフィスでは、セキュリティーの問題、と言うのは部外者ではないことを示すと言うことだけど、によって名札をつけて歩くことが義務付けられている。大抵の人は顔見知りだし、でも人数は多いから、やっぱり知らない人もいる。別に名前を同定したいわけではないし、ICカードでもないから偽造されたらきっとわからないのだろうけれども、一定の役には立っている。別にこれは、名前を背負って歩いている、ということと同じわけではない。
お昼休み、外に食べに行くときに、名札は外す。道行く人やお店の人にどこで働いているかを示しても仕方が無いし、名札と会話の内容から機密情報が推察されるかも知れない。何気ない会話も聴く人にとっては宝の山だ。ましてや、どこの会社の話なのか特定できるのであれば。
お店の常連になるとしても、別に会社名と名前が重要なのではなく、顔だけで十分だ。もし、名札になんらかの効果があるとしたら、お店の美人のおねーさんに「あの人どこで働いているのかしら」なんて思われたときに、話しかけるか迷わせずに済む。もしかしたら、帰りにビルの出口で待っているかも知れない。でも、苦手なタイプな人が待っているかも知れない。そもそもそんな出来事が起こると思うこと自体妄想の域なのだけれども。
銀行の窓口で名前を呼ばれる。そもそも銀行に行くと言う行為自体がリスキーな行為であって、帰りに襲われる可能性は否定できないけれども、住所もわからない相手の名前を知っただけで、家が襲われる心配はあるまい。帰り道で襲われない限り。
実社会の中で、実名でいることは、実は匿名とそれほど変わりが無い。社会人としての自分も一つのペルソナにすぎず、会社に自らの全てを公開しているわけではない。個人情報保護と言って社員名簿さえ配られない昨今において、全ての生活の場における自分と完全に同定されるような情報を公開すると言うのは正気の沙汰ではないというと言いすぎだとも思うけれど、名前がただの記号でなく、全世界で一意なIDとして機能するとき、多少偏執狂気味な拒否の姿勢を表わしてしまうのも人間と言う種が野生的な部分を残している一つの証左にも思える。