権利者側の補償金制度に対する権利ってなんだろう

娯楽というマーケットに消費者が落とすお金ってのは大体一定であって、一つの業界に対して使うお金が増えたら他が減るって感覚があります。そのときに、違法な方法で取得したもので代替されてしまうと、マーケットにお金が落ちない、って考え方自体は合理性があると思う。でも、僕にはさっぱりわからないんだけど、なんで補償金と言う形でお金を集めようとするんだろう。補償金を払うってことは、その分マーケット本体に落ちるお金は少なくなるし、何より、「補償金払っているんだからこのくらいしても当然」的感覚が生まれるよね。今は、ある程度納得感のある、形のあるメディアに対して払っているから、みんなもそれほど意識してないけど。

一方、苗村氏の意見に対しては、椎名氏が「消費者と契約者の間で個別課金が可能になったからお終いというのではバランスが取れない」と反論。「私的複製の問題は、メーカーが高度な複製技術を一般に普及させたことから生じている」として、メーカー側に私的複製可能な商品を販売した利益を権利者側に還元することを求めた。
〜中略〜
IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏も、「議論を聞いていると、(対象機器・記録媒体の)範囲を迅速に拡大しようとするばかり」と河村氏の意見に同意。さらに、PCや携帯電話などが広範囲に補償金対象となるのであれば、「1つ1つの補償金額が安くなければ消費者的は納得できない」と述べた。補償金額の決定方法については、関係者が協議する際、パブリックコメントなどを通じて消費者の意見も反映すべきと主張した。

「DRM普及でも補償金制度は必要」権利者側がメーカーに利益還元求める

椎名氏の言いたいことは、ロジックとしてはわかる。けれども、機器の使用目的が本来的でないものにまで際限なく適用するのはおかしい。音楽携帯って言われてもほぼ全部に標準装備なんだから、使わない人だって機能は持っていたりするし。でも、やっぱりDRMによる管理が可能になったら補償金なんて要らないと思うんだけどな。お金を請求しない権利者にとって、補償金は普及の妨げにしかならない。補償金の拡大は、消費者側の権利の拡大を伴うべきものであって、便利に複製できるようになったってのはかなりの部分が「自分の持ち物の利便性アップ」に繋がっているだけで、便利になったから友だちから沢山借りるって話でも無いと思う。補償金の分、複製の権利を広げましょうってのは、個人のもつ媒体の数とか種類の問題ではなくて、「私的」の概念自体の拡大じゃないとロジカルじゃないよね。