科学的な思考と科学的な記述

正しいが、正しくない、という記述の仕方は果たして科学的な啓蒙の役に立つのかどうか。

もちろん、森林は二酸化炭素を吸収しない。
一本の木が二酸化炭素を吸収すればその分だけ「太る」。物質を吸収するのだから、吸収した質量がどこかに行ってしまうということはない。そしてその木は生物であるからやがて枯死してその体は全部、二酸化炭素になる。
終始(原文ママ)はゼロである。

http://takedanet.com/2007/08/post_d2e1.html

収支が0あるいは使用の仕方によってはマイナスであることについて、「森林は二酸化炭素を吸収しない。」という言葉をあえて使うことは、一般の認識であるところの「植物は二酸化炭素を吸収して酸素を排出する」と言う認識に反する。ここで言われているのは「全体の収支としては吸収しない(可能性が大)」ということであって、一番避けなければならないのは「一般的な認識と反するからトンデモ」と思われることだと思うのだけど、なぜこのような記述をして「吸収するのはウソ」と断ずる必要があるのか。それが僕にはどうにもわからない。
蓄積量の高い森林が新たに再生される過程で二酸化炭素がある程度吸収される(成長が終わったら0サイクルになる)と言うのは僕の認識違いなのかなあ。森林を「残す」ことと「増やす」ことは混同されているような気がするけど、それを分けて議論できないような記述をすることが科学的であるとはあまり思わない*1。ましてやその話が戦争に向かったかつての日本政府の「ウソ」にまで繋がるとしたら。

*1:僕のこの問題に対する認識が根本的に違っているのであればまた別の話ですが