訴訟リスクの問題は、件数の問題ではない

僕がウォッチしていて思うに、奈良の事例が医師に示したことは、訴訟リスクの件数がどうとかじゃなくて、「ババを引かされたら最善を尽くしても訴訟される」ことであって、また、そのババが増えたり、全体のカードの枚数が減ったり、プレイヤーが減ったりで、相対的にババを引くリスクが増えてきたことなんじゃないかと思っています。つまり、訴訟件数の絶対数は、それほど問題ではない。
じゃあ、今まではババはなかったのかというと、そんなことはなくて、(社会的要求がそこまで高くなかったので)ババと見做されなかったり、ババをババではなくすることの出来る余裕があったりしただけだと思います。
昔から「あいつは運が悪かったな」という事例はあったはずで、そのことについて改善しようと努力して来た人もいると思いますが、そういった思いを無視した行政やマスコミによって、ババを引く前に退場しなければ、と医師に思わせている事態があるとしたら、それは医療崩壊の大きな原因の一つであると思います。
と言うわけで、

医師にも「法の支配」が及ぶことを「医療崩壊」の原因にされてはたまったものではない

日米における医師の訴訟リスク: la_causette

と言うのは、この問題の捉え方がちょっと違うのでは、と思ってしまいます。これは、医師の側についても同様で、厳しい現実はあれども、法曹界が日本の社会の中でどのような役割を担っているかを考えると、訴訟をするな、というのは過大な要求かと思います。訴訟前の審査機関を作ろう的なものがせいぜいで、しかもその為には事前の調査をするための協力体制が医療側にも必要でしょう。これも負担増ではありますが、とにかく訴えるな、ということが実効性のある議論になるとは到底思えません。