選択するコスト

例えば、昔の学区制とか、その前の悪名高き学校群制度とかの東京の都立高校の政策なんかを見てると、高等教育まで来て行き先を(実質)選べないのかよってな感じになっていましたが、今はそんなことなく越境できますね。ただ、僕は通学が自転車でしたが、電車で遠くからってのはやっぱり家計に撥ねるわけです。あと、都内中から試験を受けに来るから競争率上がった⇒塾行かなきゃ、みたいな。こういう平等化ってのは、偶然によるなり上がりを排除して、次第に必然側に倒していく戦略にも思えます。まあ、みんな(便宜上の言葉としてね)がそれを要望したからでもありますが。ん、要望した人は、十分その戦略に乗れるコストを払える人だけなのかも?
いい面があれば、悪い面もあるということに過ぎないとは思いますが

親は自分の子どもを通わせる学校を自由に選び、このクーポン券を学校に渡します。学校はそれをお金に換え、学校の運営と教育の充実に使う。クーポン券が多く集まった学校は、親や子どもたちから支持された学校ということになり、使える補助金も増えるという仕組みです。逆の場合は説明する必要もないでしょう。当然、学校間には生徒争奪戦が起こり、自由競争が喚起されるというわけです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070703/128975/

そんなわけで、競争の敗者に通わなければならない子供と言うのも必然的に少なからず発生するわけで、これに関して言うと、まず、平均レベルが向上すること、最低ラインが今の最低ラインを下回ることがないこと、そこがセーフティーの要のように思うし、正直過疎化とかどうでもいい
選択するにもコストが必要で、負け組を選ばないためのコストを払うことを親が選択しなかった場合、教育のレベルが全体として上がることになかなか期待はできない。
だから、これは子供の教育を何とかしたい、と思っている人(親)だけが恩恵を受ける制度であって、子ども自身への救済にはならないし、そういうことはどうでもいいんじゃないって考えているのかなあって思ってしまいます。でも自由競争ってそういうことだよね。
平均をあげるための戦略には、自由競争は向いていないと思うのだけどね。