光の当て方

光市の事件の弁護団の一人、今枝氏がブログを開設してから幾日か立った。仕方が無いことだけれども、コメント欄は閉鎖の憂き目に会う。仕方が無い。注目度が高すぎるとブログは自然発火するだろうから。
今枝氏の発信する情報には、しかし僕は個人的には色々な違和感を覚える。弁護人の仕事として弁護団が批判されるとき、弁護士としてなすべき原則を持って正当化される。それはもちろん問題ない。その前提があるならば、被害者感情を心のうちはともかく職務上は無視する必要があるのだが、その一方で、被告人に対しての感情移入の度が過ぎると言う印象があるからだ。事実をのみ争うのであれば、発信すべきことは被告人の成長に涙した話ではなく、客観的な事実や事件の経過についての、今まで報道されていた部分と真実(と信じて主張するもの)の乖離であるはずだ。感情的な話をしたり、自分が感情を露にすることは、事件の感情的側面をクローズアップすることに繋がる。すると当然遺族感情のみ無視されていると言う批判は止まないだろう。
いくつかの言葉は、僕にはわからない。

  • もっと早く被告人に真摯な反省と更生の芽が生じていたのではないでしょうか。
  • そして、謝っても謝っても理解してもらえないこと、許そうともしてくれないことが、この些細な事件でまた実感され、情けなくて涙が流れました。
  • テレビ報道で自分が被害者になった気持ちで怒っておられる多くのみなさんと違い、私には、現実に、いつ降りかかってきてもおかしくない、今そこにある危機なのです。
  • etc...

もしこういった言葉への理解が事件の理解に必要不可欠なのであれば、感情論になるのも仕方が無いと思う。そうでないのであれば、果たして何のために書かれているのだろうか。正しい理解は必要なのだと思う。しかし、それは同情からは決してやってこない。まず第一に同情すべき部分については議論を待たないのであるから。