想像力にも限界が

前こんなことを書いた。踏み込んだり、踏み込まれたり - novtan別館。想像力ってすごく大事だと思うけれども、やっぱり相手に求めることは難しいし、必ずしも共通認識を得られるわけじゃないし、誤解が生じて解消しづらくなることだってある。もっともこういうときに求める想像力はほんのちょっとしたことなんだけど。
で、そういう誤解とか、認識するための概念とか、いちいち説明してられないし、はっきりとわかる形での共通言語としての教養ってのが大事だってのはわかるんだよね。「〜を読め。読んでない奴とは話をできない」ってのは効率的ではある。例えばじゃあ何故読んでないことがわかっている人に絡むのか、と言うのは別の問題としてある。自分が概念的に有利なものを持っていることを誇示したいわけでもないだろうにね。ほっときゃいいのに。そう言ったものを持ち込んで来る時点で誤った戦略だ。でも、それは、「相手に理解を求める」ための戦略でなければ納得いく。つまり相手が格下であることを明らかにした上で、間違っているという指摘を行うってことであれば。
高等で高尚な概念を持つって事は、相互理解のためにも、世界平和のためにも必要なことかも知れないけれど、そのことで、想像力を放棄していいとされているわけでは全然ない。と言うことを考えずに言葉を振り回している人は、言葉を武器として認識しているのだろうか。僕の想像力は残念ながらそういった人の気持ちまで及ばない。