ブクマのネガポジと議論可能性

あーこれはネガティブだ罵倒だ喧嘩売ったなんてブクマ、みんなしたりされたりしますよね。
え、「私はネガティブなコメントなんてしたことない。褒めてしかいないし」って?あなたは「この人いつも褒めてくれるけど、こんなつまらないのまで褒めるって褒め殺し?だいたいあれとこれと同じかよふざけんな」とか思われてるかもしれないですよ?
え、「私はコメントしないから大丈夫」?「特定ジャンルにしかブクマしないのになんで関係ない俺のエントリをブクマするわけ?なんの含み?陰で笑ってんのこれ?」とか思われてたりして。
斯くのごとく、何かを表明することは解釈を他人に委ねることであり、こちらの意図と反する受容を行われることはままある。幸せを語るとそこに自らの不幸を投影し、悲しむ人もいる。私無論、一般的にポジティブあるいはネガティブに捉えられる表現があり、それを原則として判断基準として用いることで大抵の軋轢は避けられる。俺のネガポジ判断を無条件で受け入れよ、なんて言わなければ、何も問題ない。
では、ネガポジどちらが議論をより誘発するか。
ネガティブなコメントは反論に結びつきやすい。というか、そもそもネガティブコメント自体がエントリに対する反論だから、自らのエントリをブクマの影響力から守ろうと思えば反論するだろう。逆に捨ておけると判断すれば、放置されるかも知れない。
ポジティブなコメントは満足感を与え、思考停止を誘発するかも知れない。更に議論を深めるためのヒントがそこにあったとしても、承認されたものをわざわざ壊す可能性のある行動をとる必然性はない。
と、ちょっと極端な話になった気がするけれど、結局のところ、議論可能性は対象の個人の資質によるものであり、決してブクマのネガポジそのものが基準にはならない。もっとも確率的に決定されることはありそうだけれども。
こんな話はライフハック(笑)ですな。