匿名の批判はどこまで許される?

自ら公表しているとはいえ、実名を晒すリスクとかそういうレベルじゃない誹謗中傷を喰らうことを覚悟せよというのはいささか酷だろう。匿名の理由が自らを守るためなのであれば、リスクの度合いを自ら高めているとはいえ、そのことを利用して攻撃するのは卑怯であるし、ある種の敗北である。
実名だから、公表しているから、出身や所属をあげつらうというのは不要な行為だ。もっとも、実名の論者が自らの経歴や現在の立場をもって権力となすのであれば、対抗言論としての裏側への傾斜は、あってしかるべきである。その場合に実名の論者が論敵のバックグラウンドを暴くのは、単なる報復行為だ。
ここの線引きは非常に難しいし、感情面でこじれたときに、その規範はあっさり破られる。結局、一人一人を議論に足るべき人であるか判断した上で行う必要がある。のであれば、どんな事故が起きるかわからないネット上のコミュニケーションにおいては、実質ノーリスクである実名原理主義者は避けるのが正しく、また、言及するのにはとことんまでやる覚悟が必要だ。が、実名のバカをのさばらせない為の議論や批判は必要なことであるとして、それを実施する際には何をどこまで踏み込むべきかはよく考えなければなるまい。
結局のところ、種々の面倒なことから自由だったときに、実名で批判できる範囲が、匿名においても適用されるのが、フェアな議論であり批判である。実名の方がその規範を守れないことがままある、というのは不思議なことではある。実名をある種の権力の源や保証であると認識していない限り、なかなかそういうことにはならない。