禁止を主張すると感情的になりがち

なのは何故だろうか。それは、その「禁止」という主張の源泉が、感情にあるからに他ならないのではないかと思う。
無断リンクにしても公共の場での喫煙にしても、譲り合い助け合い分かり合って行うことであれば、「禁止」という強い言葉までは行かないはずなのだが、禁止を求める側も、求められる側も、急進的な、先鋭的な、バカな、人たちがいるせいで、感情と言うところでのぶつかり合いまで行ってしまう。と、もはや、止めるすべはない。論理的な、背景的な、法的な、論拠を持っている人が勝利を収め、かくして原理主義が採用される。これは、どちらの側にとっても不幸な結末であると思う。