嫌煙権を主張すること

どうも僕はこう自分の不愉快が我慢できる範囲であれば、面倒なアクションを起こすぐらいだったら我慢した方がまし、と思う傾向がある。こういう人からは何かの禁止を求めるような運動は出てこない。もう一つ。不愉快が、我慢できる範囲を遥かにオーバーしたとき、面倒なことをやることのコストを掛けても良い、と判断したら出てくるかもしれない。僕は自分のアクションのコストを多大に見積もっているので、あまりやらないのかもしれない。
松岡美樹さんが、ジャズ喫茶での嫌煙権についてのエントリを物していた。

だけどほかの客に「タバコを吸うな」なんて言うつもりは、もちろんない。
理由はジャズ喫茶だからだ。ジャズとタバコと酒の縁は歴史的に深い。実際、私自身もその店で、誰構うことなくタバコを20年近く吸ってきた。「ここでは吸わないでください」なんて言われることなど想像もしたことがない。

ジャズ喫茶で嫌煙権は認められるべきか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

僕は、理由はジャズ喫茶、であることには同意したいのだけど、ジャズとタバコと酒の縁が深い、なんてのは理由にしたくないところだ。それを言ってしまうと、もっとも似つかわしく、禁止すべきでないのは、麻薬であろう。もちろん、そんなことはナンセンスだ。今に至っては。
つまり、タバコの害というものが以前より明らかになってきた現状で、そういう理由は成立し難い。ジャズ喫茶はジャズを楽しめばよいではないかと思う。そこにタバコはあってもよいと思う。しかし、タバコ嫌いが来ないという機会損失を考えるとどうかな。タバコを吸うためにジャズ喫茶に来る、では本末転倒であるし。タバコ嫌いな人がいたら吸わないとか、喫煙席を設けるとか、そのくらいのことはしても良いのではないかと思う。僕は、タバコの煙も雰囲気の一つだと思うから、自分は吸わないけれど、他人が吸っていることは気にしない。けれども。
こういう場で、吸う方も一言断ってから吸い、吸わない人も、特段自分に降りかかってくるようなものでなければ、受け入れるような空間であって欲しい。ジャズ喫茶はジャズを愛する人が集うのであるから、そこに喫煙者と非喫煙者の壁などない。お互いのことを配慮できるのであれば。
話はずれるが、過去の映画のタバコシーンを消さねばならないような未来はどうも僕は遺跡を損傷するような、そんな行為に思える。そんなに映画の影響が心配なら、戦争映画などは最も必要がない。一つの文化として、喫煙があった。それの過去と現在の繋がりなんてのは、過剰に求める必要はないと思う。もちろん、喫煙者も非喫煙者も、そのことを踏まえないで、現在の、お互いがどうあり、どう配慮すべきか、ということを考えるべきなんだよね*1

*1:なんていうと、捕鯨とかもそういう話になりそうだけどね