議論の中で中立であること

中立であることは難しいって言うけどそれは当たり前で、議論のテーマについて何かしら意見があるのであれば、それは中立ではないからだ。だって議論がこっちに振れたらあっち側に、あっちに振れたらこっち側に、ってのは自分の意見があるとは言えない。もし中立であるという意見が成立するとしたらそれは「わからない」という表明だけだろう。価値判断できないということ。
だから、中立ってのはほとんどがポジショニングの話。もちろん中庸とも違う。
中立者は議論の中身ではないところにツッコミを入れることが多い。議論の進め方や言葉遣い、態度、可能性の問題、論理性。逆に言うと、中立者の登場はこういった問題を明らかにする。当事者からみたら別にありがたくも何ともないけれど、そのときに議論が第三者からみて問題のあるものになっていないかを確認する必要はあるかもしれない。議論に参加していない人は内容よりも「いい話」を重視するかもしれない。バカバカしいけど。
もう一つの立場として、確固たる意見があるけど言わない、というのがある。これは必ずしも傍観者ではない。遣り手の経営者なんかは会議で部下にだけ発言させたりする。その場においてだけの中立というのも、そういうわけで、ありうる。裁定者なんてのはこの類だろう。
いずれにせよ、中立という言葉が現れたら、何かしら問題がある。対処を間違えると誤った印象を周りに与えることもあるから、何とも厄介だ。もっとも、大抵の中立は傍観に等しいものだし、そのことを糾弾するのは藪蛇だから、気にしないのがよいのだけれども。