地味な努力

なんか努力って言葉を過剰に嫌う人は結果にこだわり過ぎている気がする。結果が満たされてない焦燥感的なものを。他人の努力それ自身に意味があるとかないとかの価値を付与しているような。
この手の話の特徴として、求める結果が過剰にポジティブなことがある。大金持ちになったり社長になったりみたいな。そして、日々暮らせればよいとか好きなことをできればよいというと資本主義社会の負け組と決めつける。僕だって現状を嘆くばかりの声を聞いたらもう少しなんとかしたらと思うけど、過剰な成功イメージが提示されることには違和感がある。そっち方面には頑張れないもの、求めてないから。
人は少なからず地道な努力をしているよ。求める結果が違えば努力のやり方だって変わる。なんでドーピングするスポーツ選手が忌み嫌われるのか。その辺の話でもあるよね。価値観は色々あって、何を大事にするかは人それぞれ。楽をすることだって悪くはない。けれど、そのための努力は、本人が努力と認めなくてもしているよ。
結果を重視するのは良いことだけど、自分の視点による努力の方向を押しつけても何の意味もない。「あなたの意図する結果が得られてないのであれば、こうしたらよいと思う」というアドバイスは、もしかしたら有効かもしれない。