声高に叫ぶ「死ねばいいのに」はいったい何か

「死ねばいいのに」って基本的にはギャグ(と言うと語弊がある。ブラックな婉曲表現)か、ボソボソと呟いて、現実として望めない願望として、しかも人としての死を求めている場合よりも自分の前から消え去ることを求めている場合が多いと思う。死ねっていうのは報いを求めているのであれば直接的な願望かもしれない。
「死んだ方がよい」んだから、価値判断の表明ではある。ただ、状態ではなく動作を含むところが単純ではない。だから、相手に届くように言うのは単に嘲りの言葉ではなく、行動の推奨ととることも出来よう。ちょっと強引か。
「死ね」というのはもちろん比喩であり、最高の否定を表す表現なのだろうと思ったら「自分なら死ぬ(本当に?)」だったりしてわかりにくい。
声高に叫ぶことについて勝手に思っていたのは、どうしても変えられない現実に対しての無力感のなせるものか、あるいは最大の罵倒として、相手に変わってほしいという強い意志が込められているか、どちらかだということ。でも実際には「死ね」という行為そのものの願望として表現している場合もあると。
本気で思っているならボソボソと呟いて、自分の世界から消せばいいと思う。相手に届くのが前提で発せられるのであれば、単に自分の価値観の表明ではなく、相互性を持つやり取りへ踏み込んでいくと言うことではないか。そこで比喩ではなく、言葉通りのことを思っているのであれば、相手にとっては行為の推奨でしかないと思う。