比喩は理解を助け、また、理解を阻害する

ちょっとコメント欄のやりとりで思うところがあったんですが、比喩は相手がこちらのいうことを肯定的な姿勢で理解しようと勤めているときにはとても効果的。たとえば、教育の場とかで。逆に、相手がこちらの誤謬をなんとしてでも突いてやろうとしているときに比喩を使うと、その「不適切な部分」のみをクローズアップし、本質的な部分はどっかに行ってしまう、というところで全く効果的でないことがありそうです。
実際には比喩そのものの適切度よりもなによりも、その比喩を受け止める側がその言葉をどう受け入れるかにかかっているように思えます。つまり、論争の場で比喩が兵器足りうるのは、受け入れないことが大前提だからではなかろうかと。