美徳は、圧力と共にあり

世間体とか、昔で言うと武士とはこうあるべき、とか、男らしく、とか。美徳というのはある価値観からなる世間の圧力によって生まれるわけで、価値観の多様性を求める現代において、あるいは、個人の幸せを追求する現代において、他者への圧力が減っていることによる「美しくない行為」の増加は社会がそういった圧力を減らすことを求めた結果であります。だから、「美徳」で管理するのは多分難しい。
僕は、人はこうあるべき、というのを社会全体が共有している、ということは必ずしも悪いことではないと思う(というか、今もある程度共有しつつも、逸脱することが許容されているだけだと思う)けれど、もはやそれを盾にとって人を動かすというのはよっぽどのムラ社会でもないと難しいと考えています。

普通の人が。
みんなが我慢をしていることを、理由をつけてお金をせしめてやりたい放題する。
昔の日本人の美徳という価値観にどっぷりと浸かってしまった私にはできないことだと思いましたし。
とても怒りを覚えたニュースでした。

我慢という美徳 - まじめな中高年・おじさんが綴る日々の日記

僕もとても怒りを覚えましたが、それは問題がないと言って支給し続けた行政側に対してです。過剰な要求を我慢するのが美徳でないのは明らかですが、そういうモラルでなく、ルールの問題です。明示されていない価値判断に頼った結果が現状なのであれば、そういった価値判断での運用を止めないといけないということではないでしょうか。