「休みたいならやめればいい」の前近代性

言葉自体、大変合理的な話ではあると思うのです。ただし、現代社会でなければ。

「休みたいならやめればいい」――。日本電産永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。

http://www.asahi.com/business/update/0423/OSK200804230044.html

確かに、かつてはそれが許されたかもしれません。あるいは、現在でも状況によって許されるべきときもあるかと思います。が、一部上場企業デスヨネここ…
いきなり書かれてるw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%9B%BB%E7%94%A3
初任給も学部卒20万くらいで別にそんなに高くない。ボーナスの実績も5.4って普通すぎ。
そもそも社員全員が休日返上って単に人が足りてないだけですよね。残業代をちゃんと出しているとしてもそれはその方が安上がりだから。つまり、人には投資しないってことだ。勤続年数は低そうですね。
こういうのを、労働力の搾取として戒めているのが労働法のはずなんだけど。
「たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」というのは欺瞞です。言葉面だけみたらそのとおりなんだけど、つまりちゃんと休める環境を会社としては用意しませんよ、っていっているだけじゃない。経営危機を抱えているのでなければ成長した会社が雇用をきちんと創出するのも上場企業としての勤めです。もっとも株主は労働者から搾取する存在だからそれで納得なんだろうけど。
やむをえない事情がない限り、「たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」という言葉を発するのは搾取宣言に他ならないのです。費用がかからないなら競争力が生まれるのは当たり前。もっとも、今競争力にかける日本の企業というのはこういった気概がないからかもということは否定できません。
というか、この手の経営を世の中が認めちゃうってのは日本では高付加価値のある仕事ができません⇒そのうち中国にみんなやられちゃうよってのを認めることと等しいような気がしてならないのですが…
そういえば、社員のやる気相関グラフみたいなのをどこかで見た(課長の教科書だったっけ)けど、やることがなさ過ぎてもモチベーションが下がるけど、やることがありすぎてある限度を超えるとどんなに報酬があっても潰れちゃうよ、みたいなのを見たな。常に全力疾走を要求して、潰れたら交替を用意するのは経営者としては間違いではないのかもしれませんが、社会に対して、自社で清算した廃人を不適切に放出することは社会的には間違っているでしょう。
あれだ、会社都合による精神疾患は一定期間会社でその生活と病状改善にかかる費用を保障し、本人の希望により改善後の受け入れを義務付ける、とかにしないとだめかなこりゃ。