残業の限界

倍働かせても残業代以外の固定費があまり増加しないから、残業させるというのはそれによりリニアに利益が増える仕事ができるのであればおいしい。サービス残業ならなおおいしい。
僕はどちらかというと、必要な残業はすべきだとは思うほうで、時間過ぎたら報告もしないで帰りやがるお気楽外人に殺意を芽生えさせられそうになったりはするけれど、一方で、残業自体を認めていることは残業が必要になる事態を作る奴を甘やかしているわけでもある。
誰もが何度も述べているように、時間に比例した仕事もあれば、効率に左右される仕事もある。残業すればいいってもんでもない。
でも、喜びを感じながらやっている仕事と、帰宅後自宅でサイトを巡回してブログを書くこととは、PCに向かうという点で何の違いがあるのか。むしろ前者は収入になるくらいだ。ならば、働きたいなら働かせておけばよいのか。
残業できない奴は来なくてよい、というのは一つの基準として間違ってはいない。そういう仕事をしたいかしたくないかである。昔、出版社に対する就職活動をしたときどこも「不規則で残業多いけど大丈夫?」と問うてきたのを覚えている(残業に対するマスコミの論調がイマイチ鈍いのはそのせいか?)。そういう仕事なのだから、不況だから仕方がない?そう、仕方がない。だから本来は是正しなければならないものだ。
日本電産の発言の問題は、この話を越えたところにある。是正は必要ないと言ったに等しい。
人はお金で買える消耗品である、という考え方は社会に貢献しない。上場企業の資格は財務にだけ求めてはならないのかもしれない。