議論の方向性

ダブスタの話を書くのに過去エントリを見てたら同じ日にこんなのがありました。

こういう議論をする人は嫌いだ。それは、他人の言葉を勝手に解釈して、その解釈が正であることを言葉を発した本人が否定しているにもかかわらず、その発言を拾い集めてきて、論理的にはこうでしかありえない、自分が正しいと押し付けるような議論。

嫌いな人、嫌いな議論 - novtan別館

このへんに関しては大体昔から同じようなことを考えています。皮肉がちな自分であることもわかっているので、こういうのは自戒でもあるけど、どうしてもピンとこないことが多いです。だって議論って文言解釈をする場、ではないよね、必ずしも。
議論することそのものが何がしかのモラルに反していて、それをぶち壊さなければいけない使命感を持つ人が登場する、というのはあるかもしれない。それほどではなくても議論されていることに違和感を抱くことだってあるでしょう。でもある意見に対して反論する、というのはその意見の意図から逸脱しない範囲でないとあまり意味がないのかな、と思う。いつもそうってわけじゃないだろうけど。
明確に論点になっている部分について、様々な見解を出すことはそもそも意味のあることなんで良いでしょう。
失言を突いて、相手の邪悪な意図を炙り出す、みたいなやり方もあるのかもしれないけれども、それよりは失言は失言として、それを何故出してしまったのか、ということに思いを馳せ、相手の意図を汲んで、それでもなおおかしいと思う点には突っ込む、というような議論は有益かも知れない。
いずれにしても、なんとなく意地悪さがにじみ出てくると、微妙にいたたまれなくなることが多いです。ここのコメント欄にしても、少々皮肉が過ぎる(自分含めて)ことがあるとどうも落ち着かなくなりますね。
ウェブで議論している人が、基本的には邪悪ではない、ということを信じて色々やっていきたいものです。