マジコン論法

「マジコンは、一部の善良なソフト開発者の未来を奪う」的な話は、確かに字面としては正しいけれども、社会的には「ソフト開発で真っ当な商売をしている人の商機を奪い、ゲーム業界の未来を奪う」のほうがより正しい。
それ単体では言っていることはどちらも正しいから、より望ましいものはどちらか、ということが議論として肝心な点であるわけだ。
1:Winnyの規制は、一部のポエムを匿名で流したい人の自由を奪うからよくない
2:ダウンロードの違法化は、普通に利用していた人が罠リンクなどで違法行為に該当することを行うようなケースが問題になるからよくない
前者は代替手段もあるし、そもそもごく少数のニーズのために、害悪のもとを規制しないことを主張している。後者は、そもそも規制される部分が問題の本質ではない一方で、副作用が大きいという主張。
3:モルヒネは厳重な管理の下、終末期医療に使われているのであるから、マジコンも管理して使えばよい
もっともだが、実状として「違法コピーを動かす」目的で使われるマジコンは当然売れなくなるから作られなくなる。そもそも管理も面倒であるし、十分に代替手段がある。
もちろん、少数の利益に配慮すべき、というものもある。多いか少ないかが問題の本質ではない。相対的に考えてどちらをとるべきか、という話であり、設定した「一部の人の利益を損なう」命題が正しいからと言って、「だからマジコンを規制するのはおかしい」という結論に導かれるわけではない。このような、「だから」の部分は問題の多角的な分析をしなかったり、ある立場を意図的に無視したりすることによる論理の飛躍であることが往々にしてある。