罵倒と芸と、あなたとわたし

罵倒ってのはそれを行うに足る対象に対する怒りの発露であるわけだから、指摘をするためにはあまり向かないよね。その怒りが正当なものかどうかはおいておいても、罵倒で芸人と認められている人は相手を単にバカにするだけにとどまらない何かを感じさせるものです。
文章構造のおかしさを指摘するのは何かの正義を体現しようとするからなのかなあ。学校の先生じゃあるまいし。昔、早稲田の入試では「漢字の留め跳ね」が間違っていたら減点されると言われたもんだけど、そういう何かを感じたり。で、別にその人以外は「読めるからいいじゃん」と思っていたりしてね。その類の指摘で罵倒するのは「バカにしたいだけ」というような意図に見られてしまいがちかな。
あと、人の感じたこと、思ったことを「そんなこと言うのはバカじゃねーか」みたいに罵倒するの。でも、そのバカという根拠は自分の思ったこと、感じたことだったりして。人それぞれで終わっちゃうとそれじゃーダメなんだよ、みたいなことも。お前こそダメだと言われないのはたいてい面倒だからなんだけどな。

言語は思考を示すのに不完全だし扱いづらいものだから、みんなある程度相手の思考を推し量りつつ、相互理解をしようと試みている。のだけど、その努力をしない…のであれば放っておけば良いのにわざわざ罵倒する。となると所詮その不完全さの部分を指摘する単なる揚げ足取りになっちゃうんだけどね。

議論はそれなりに出来ても対話ってのはなかなか出来ないものだね。罵倒芸ってのは対話を捨てる覚悟でやるものだと思うけど、くだらない対象ばっかり罵倒していると安全圏から騒いでるだけみたいに見えちゃうものだ。