コンテンツ所有の未来

楠さんが面白いことを書いている。

SONY Readerを買った直後にKindleの日本展開を知って驚いたが、買おうと思った理由のひとつはKindleでのコンテンツ購入の概念が非常にクラウド的と感じたからだ。買った本はKindleでもiPhone(持ってないけど)のKindleアプリでも、年内にPC版のリーダーでも読めるようになる。Amazonが潰れない限り、Amazonで買ったKindle Bookを、自分が使うどの端末でも読めるのだとすると、それは電子ブックというビット列を買っているのではなく、Amazonクラウド上に本棚を預け、少しずつ本を揃えていくような感じか。

LIBRIeとKindle - 雑種路線でいこう

クラウド的というのはあんまりよくわからない。クラウドってしょせん基盤技術だからね。でも、本を預けるという感覚はわかるな。ここで重要なのは「Amazonが潰れない限り」という認識。つまり、潰れたらなくなると思っているわけだ。これは、実質コンテンツの所有ではなく、買ったのは特定コンテンツの永久無料レンタル権(ただしサービスが存続する間)、ということになる。
こういうことが可能になるのは、再生端末側と特定個人の結びつきが強くなってきたことによるものだろう。逆に言うと、この先のコンテンツは再生するためにデータと再生端末だけではなく、個人のアイデンティティが必要になる、ということだ。
そこには一抹の不安を感じなくもない。ファッションとしてのコンテンツはアイデンティティごとの貸し借りができないとしても買っちゃうかもしれないけど、ニッチなコンテンツは貸し借りが出来なくなると個人のアイデンティティとともに埋没し、はじめからそれが必要な人以外は目にすることがなくなってしまうかもしれない。
このコンテンツ形態を推し進めると、意外と旧来のコンテンツ市場よりも流行したものしか残っていかない(発掘するのに従来よりもコストがかかる)状況になったりするかも。