文明人として生きることを拒否することについて

一応の理屈が通ることを正論と言うのであれば、これは正論である。

障害のある子どもの世話の大変さにも触れながら、「社会をつくることは命の部分に踏み込まないとダメ。表現として厳しいが、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死(えし)した足は切り取らないと。情緒で社会をつくることはできない」とも語った。

http://www.asahi.com/national/update/1221/SEB200912210037.html

2百年くらい前であればそれほど非難されるほどでもあるまい。
しかしね、少なくとも、日本が属している文明の元では単なる野蛮な論でしかない。仮にこのようなことを語る状況があるとすれば、それはもはや文明だ文化だなんていっていられないほどの滅亡の危機に人類がさらされているくらいの状況なのではないか。もちろん、今はそうではない。
財政破綻したら結果としてケアをする余裕がなくなるかもしれない。でもそれは結果として仕方なく起こる事でなくてはならないと思う。
もっともね、この市長を支持する向きがあるってことはそういう苦しさが現実のものとして迫っているからかもしれない。排外主義もそうだけど、つまるところ、日本には余裕がないのだ。友愛だなんだって言っているばかりではこういうのも含め、いろいろ噴き上がる。