大きかった侮辱の代償
ある程度に反社会的(あるいは非倫理的)な行動とそれに伴う成果がアートか否かという判断は、絶対評価にはなかなかならない。どうしてもそのときの社会の倫理には縛られる。「ドブス」の件で退学になるのは侮辱の代償として妥当か。個人的には妥当と思う。
当の学生がそれを予見していなかったとしたら、この「芸術的行為」が他者の侮辱であり、侮辱は深刻な反社会的行為であることに気づいていなかったことになる。もしかしたら、素人いじりのテレビ番組や、ウェブでのネタ含みの罵倒行為、社会倫理を無視した表現の自由論などに毒されていたのかもしれない。
彼らがこれをアートと称するとき、そのことによって何かが免罪されることは有り得ない。古来から、アーティストは権力者や社会規範と戦ってきたし、覚悟の上でやってきた。しかし、その反社会的意識は権力や規制への批判を伴っていたり、抑圧された社会の気分を十分に反映したものであることが多い。
そんなもののない、自称アートに残るのは単なる深刻な侮辱である。もっとも僕にはこの種のアートに対する審美眼はない。
成果として、彼らが残したものがどう評価されるべきか、だから僕には何ともいえないが、そこから切り離された、行為としての侮辱に対して毅然とした態度を示した大学当局を僕は評価したい。処分はちょっと重い気はするものの。
もちろん、このことをもって表現の自由の侵害であるとは言わない。少なくともトラウマを呼び起こす的な話でも間接的な侵害でもなく、直接的な侮辱行為である以上。社会の意に反してそれを行うことは可能だし、代償を伴うことを理解してやるのであれば、それはある種のアーティスト的行動とは言えそうだ。