「ネット文化」は時間の無駄文化

実際、ネット文化、というのが文化として個別に語られるべきか、というのは確かにいまさら疑問はある。

もし「ネット文化」が「ネット以外の文化」よりレベルが低いといいたいのであれば、それはそうじゃないともいえるし、それはそうだがスジちがいだともいえる。ずれを感じ取るのは、ネットにせよリアルにせよ、一部に注目してるからではないか。

もうそろそろ「ネット文化」みたいな区分けはやめてもいいんじゃないか: H-Yamaguchi.net

これはそのとおりである一方で、その一部の違いこそがネット文化の特徴なんじゃないかと思ったりもする。
例えば、引用先であげられている「社民党党首の福島瑞穂(54)は民主、国民新との連立時、合意文書の署名が丸文字だったため「みずほたん、かわいすぎ」とネットで騒がれた。」というくだり。なぜこのような部分で騒がれるかと言うと、ネット以前の世界では、たとえ思ってもそれを開陳する場がせいぜい一緒にテレビを見ている家族くらいでしかなく、会社いって「丸文字かわいかったよね」みたいな発言をするのはちょっと恥ずかしいし、何より時間がたちすぎて単なる感想をいうには遅すぎる。
でも、ネット世界では、ニュースで報道された瞬間から誰かの感想が始まり、共感を呼び、広まっていく。
これって、従来ではネタにもならなかったトピックがネタとして成立してしまうシステムだといってよい。だから、ネット文化ってのは、時間の浪費を創出してしまうシステムの上に立った時間の無駄文化という一面があると思う。あくまで一面ね。
よくいえば、これは物事に対して多面的に価値を見出すための試みである。少なくとも、従来個人の枠内で留まっていた観点が広く発信されることによって上手く昇華して行くことがある。だから、単なる時間の無駄と言ってしまうといかんのだろうけど、確実にネタにする対象のハードルは下がっているよね。