一つのゲームに時間を費やすこと

まともにゲームをしなくなってから大分長い時間がたつ。昔は同じRPGとか飽きもせずレベル上げをしたりしていたものだけれども、人生はそれに浪費するだけの時間を持っていないことに気づいたから、では多分ない。やることが増えすぎたのだと思う。
Mixiとかのソーシャルゲームみたいな、一日ちょっとだけ時間を費やして、みたいなのはそういう点では流行るんだろうな、と思う。一方で、MMOに人生かけちゃうという極端さも今のゲーム界にはあるけれども。
最近、こんなプレイ動画を見た。
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そういえば、昔プリンスオブペルシャとかアホみたいにやりこんでいたなってのを思い出した。昔はそんなにいろんなゲームに手を広げることはお金の面でも出来なかったし、一つのゲームを試行錯誤しながらあの手この手で楽しんでいたものだった。この動画のすばらしいところは、今見たらどう考えてもアクションゲームとしてはクソゲーに思われるゲームをきちんと謎解きのゲームとして楽しんでいるところだ。ちょっと偶然に左右されているきらいはあるけど、プレイヤーとしてのスキルが徐々にアップしているところとか、かつての自分を見るようで懐かしくて泣けてくる。

ところで。

1本6000円、7000円のゲームソフトを1回限りで売るだけでは駄目だ。たとえば最初に2000円、極端に言えば無料で販売した後、ネット経由で場面やアイテムを追加配信。もう1000円、2000円出してもらうなど、きめ細やかな課金もあり得る。

http://blog.esuteru.com/archives/579208.html

今のゲームの現状ってのは確かにこういう状態なんだろう。この手のは上手くいけば収益率がよいのは間違いない。フルプライスのゲームに賭けるよりよっぽどよいのだろう。ただこういうの見てるとゲーム会社も普通の会社になっちゃったんだよなあと感慨深い。安定した収益を求めないといけないんだろう。上場しちゃってるし。そうなると、受け手側として骨の髄までしゃぶれちゃうようなゲームではなくて、早めに飽きてもらったほうが得策である。けど、そうするとフルプライスのゲームは正真正銘のクソゲーにならざるを得ない。では、骨の髄までしゃぶるとお金が取れる、という形態に移行すればよいのだ、という理屈があるのかないのかわからないけど。
すっかりゲームをやらなくなった僕がもう一度ゲームをやるとしたら、それでもフルプライスのゲームなんじゃないかと思う。自分のペースで、かつ、どっぷりとその世界に浸かりたい。かつてMMOもやったけれども、息抜きのはずがリアルの時間を拘束するようなものであることにだんだん行き詰まりを感じてしまった。
ちょっとまてよ、ゲームは息抜きなんだろうか。中高生の頃、確実にゲームは人生の一部の何かだったように思える。小説から、あるいはマンガから、そしてゲームから、いろいろな感銘を受けていた頃。ゲームに夢や希望を感じなくなったのは、僕が年を取ったからだろうか。それとも。
ゲームが息抜きでしかなくなった身には、ソーシャルゲームがお似合いなのかもしれない。