個人が勝つための社内公用語英語化ではないんだろうなあ

これ。
グローバルマンセー、英語マンセーな連中って
一部の経営層(これは通訳つきでも構わない)と法務がきちんと戦える英語であればあとの人は労働者としての英語であれば十分で、意思の疎通がまずまずできれば、というところではないかと思わなくもない。
グローバル化がそれで成功するかと言うと、例に挙げられている任天堂の話のとおり、問題はグローバルに魅力のある商品を提供できるか否かであり、英語力はその後の実行力の源に過ぎないかもしれない。まあ、サービス的なものであれば労働者の英語力そのものが商品力なのかもしれないけどね。
それよりも経営側の罠として、社内で英語が通じるようになれば労働力も英語圏から安く引っ張ってこれるから英語が出来てもできなくてもどの道クビ、みたいな話があるかもしれないけど。極端にそんなことになると英語圏の人材の価格は上がるし国内の購買力は下がって物は売れなくなるしの踏んだりけったり状態になるような気がしなくもない。