結局、原発とは何だったのか

地震直後のテンションダウンを引きずっているものの、仕事が忙しくてそれどころじゃない現状にて原発のことなんて全く気にしていなかったので、今どうなっているのかをあらためて確認しようかなあと思う今日この頃。

なんでも一般化して語ってみるテストをしてみると、結局のところ、日本の安全神話をぶち壊したのは欧米流の市場主義とアウトソーシングである。うん、強引だ。
でもさ、インフラ会社が利権うずまくどろどろした会社であっても、その結果として運用がきちんと回るのと、コスト削減をテーマにアウトソーシングを進めた結果、プロパー社員にノウハウが残らず結果として危機的状況で運用が回らなくなるってのはそういうことだよね。
正社員として会社を、更には日本を守っているというプライドを持てる仕事であり、待遇である、ということは重要なことだと思う。高度成長期では、(見方を変えるとその精神をもって会社に搾取されていたとも言えなくはないが)そういうプライドとがむしゃらさはあったんだと思う。守るべきモノの範囲が自分の幸せというスコープではなかったからかもしれないな。
仕事から精神をとったら残るものはそんなものだ。

未だに、原発が本質的には運用不可能なものだとは思っていない。けれども、それを行うには高尚な精神が必要であり、かつてそれを持っていた日本(持っていたのは歴史を通してもごく僅かな期間だと思う)では運用可能であったが、今の日本においては果たしてどうか、というところなんじゃないかと思う。極めて抽象的な話だけれども。

正直言って、中国の新幹線事故のことは笑えない。事後の対応は批判されているし、行った内容は間違っているとは思うけれども、ああいった有事のスピード感に全く欠けるのが今の日本だ。
「日本ではありえない」と考えている今の僕達こそが、原発を危うくしている当事者かもしれないんだと思う。