無知と虐待と子育て

不幸なことに、現代社会において「子育ては成功するもの」と一般に考えられているようだ。先天的に問題があったり、家が貧乏だったり、その他もろもろの悪条件があってすら、一度生まれた命を親の都合で云々。いわんや普通の家庭をや。
仮に、子育て検定試験に通らないと子供を育ててはいけません、となった場合に合格できる人はどれだけいるというのだろうか。たぶんほとんど通らない。何しろ最初は誰も経験できないのだし。

「チェルノブイリへのかけはし」批判者は、汗をかいてから批判して欲しい等の主張 - Togetter

ここで批判されている親御さん。自分なりに必死なのだろう。必死になっている自分を批判されるのはかなわない。何しろ将来何らかの影響が出たときに責められるのは手を打たなかった自分なのだから。まあ、そんな穿った見方をしなくても、子供のことは大事だ。

だから、この問題は根が深い。

「実際に子どもの健康や未来に不安を持って毎日対策している母親の私がそう感じることが根拠です。」

正解を誰も教えてくれない中、不安を持って何かをせざるを得ない母親。それにつけ込んで不安を煽る不誠実な輩たち。でも、答えを与えられない以上、科学者ができることなんて限られている。こっから先は政治と行政の領分なんだけど、残念なことにどちらも信頼されていない。

子育てって家庭と社会にまたがる事項だけど、家庭の比率が責任の上でも高い。でも、生殺与奪権はない。責任の重さに比例して権限が少ないのは人間が生まれた時から個人として人権を保護されるべき存在だからだけれども。

自分なりに工夫しているつもりが虐待って言われたりするとあーどうすりゃいいのよほんとにもうって感じになってしまいますよね。

これを何とかするのはもう行政でやるしかないんだけど、個人の思想の部分に踏み込めない以上、ボーダーラインはいつも存在する。

外野ができることは親をバカにするのではなく、弱みにつけ込んで利益を得ようとする輩を断罪することだけなんだろう。説得するのではなく、自ら気づいて貰わないと、同じことが永遠に繰り返されるだけだと思う。