届くようになった声と変革のスピード

何から何までうのみにするつもりはないのだけども、さもありなん、というお話。

この問題の一番の原因は競争相手がいないが故の「慣れ」だと思います。「馴れ合い」と言ってもいいかもしれない。

肺癌末期の父が入院している病院がマジでひどい件について - Togetter

まあ詳細内容はリンク先を読んでもらうとして、端的に言うと、態度も治療内容もひどい総合病院なんだけど、地域で一番設備が整っているからいかざるを得ない、みたいな話。

いわゆる「えらいお医者様」がやりたい放題やっている状況ですよね。
ただ、一昔前と違うのは、これが如何に標準とかけ離れているかということが、他と比較することによってわかっちゃうことなんですよね。引っ越したら前のところが如何にひどかったかわかったり、引っ越してみたらものすごいところに来ちゃった、みたいな話はあったと思いますが、地域のコミュニティーに埋没せざるを得ない時代ではそこで声を上げても中々改善されない。統括する中央官庁からのメスでも入らないと改善されないわけです(そして、結局接待で抱き込まれて改善されないと)。
テレビの普及がそれを少しはマシにしたとはいえ、所詮マスメディアであり、視聴率にならない話は大きくは取り上げられないし、誹謗中傷だという訴えを恐れることはあるでしょう。スポンサー絡みの話もあるかも知れないし、国会議員から云々的な話もあったかも知れない。まあこれは邪推でしか有りませんが。
というわけで、いわゆる地方(実際には地方に限らないのですが)における、標準からの隔たりの改善は大きく遅れる場合があると思います。もちろん、都会も昔はそうだったのが、地域コミュニティーの変容によって(ようは、気を使わなくなって)変革していったということだと思いますが。つまり、地方は旧態然としているところがまだある、ということ。
ここでは医者の話ですが、農家とか、役所とか、地域の風習とかは、現代の日本の常識から言って許されない事でも閉鎖的なコミュニティーの中では許されてしまっている現実はあると思います。

ところが、インターネットの普及によって、口コミが全世界的になったり、一般の人の生の声が聞こえてきたり、ということで、自分たちの置かれている状況がおかしいことに気づくことができるようになりました。しかし、それは主にマイナス側に立っている人の話であって、プラス側の人はメリットを享受しているわけですから、それをおかしいなんて思わないし、むしろ正しいことだって思っていたりするんじゃないかな。そこにギャップが生まれるわけです。

情報の非対称性によるこういう地域間格差ってのは、これからどんどんなくなっていくべきなのかな、と思います。というか、むしろ自然になくなっていくものなんではないかと。思うに、昔は日本も広くて、故郷という存在はかなり大きかったと思うんですよね。でも、交通網と情報網の発達で、日本は狭くなってしまった。離島ぐらいでしょ、実質遠いのって。心理的に田舎に縛られることが少なくなってくれば、「おかしいと声を上げた結果暮らせなくなる」なんてことを心配する必要もありませんし、無体なことをされたことを伝えるすべだっていくらでもあります。
それによって失われることも多いと思います。伝統行事とか。でも、それを守るのは地域の意識だよね。旧態然としたコミュニティーを維持することと、そういった文化を守ることは別物です。時代に逆行した社会を維持したいがために、人の逃散を招いて文化を崩壊させるのだとしたら、それは自業自得といって良いでしょう。そんなコミュニティーが守る伝統なんていらない、と言いたい。
高度な情報化社会を現実のコミュニティー受け入れていくのはこれからだと思います。必然的に、社会の変革スピードは上がります。地方が崩壊するのは単に人口減少とか、産業構造の変化だけではない要因があることにようやく気づける状況になったとも言えます。地方はここからが正念場だと思いますよ。