誰だ、「痛み」を分かち合うべきなんて言ったバカは

東大教授(3月までらしい)の上野千鶴子女史がこうつぶやいた。

最初のセリフを抜きに考えたら、まだわからないでもないけど、あれがある以上、上野さんは理由を被爆の可能性に求めていると判断できる(子供をだしにする以上違うとは言わせない)。
痛みを分かち合わないのか、という曖昧な批判に対して、こういう反応が返るということは、「痛み」を放射能ととらえることは今の日本社会の文脈では自然なことなんだろう。それが本来の意図からすれば曲解であっても、それにより批判された当人にとっては好きに反論できる楽な批判にすぎないよなあ。
それにしても、現地に処理施設を作るべきってのはまた悠長なアイディアだよね。直前の二つのつぶやきも興味深い。政治的判断ってそりゃすべての政治的判断は政治的判断ですがな。科学的根拠やらなにやらは政治的判断するための材料にすぎないよね。